(CLANNADの)志麻くん的女装男子消費スタイルの安全性

こんばんは。
CLANNAD AFTER STORY 第6話での女装志麻くん(以下「志麻きゅん」)が可愛くて仕方ありません。








もー、超好きです。志麻きゅんのことを想うと胸がドキドキするのですが、これってもしかして「変」なのでしょうか?(そうじゃねヘンじゃね)

女装男子」とか「女装少年」とか、そういうジャンル自体が好きってわけでは別に無いのですが、この志麻きゅんは超好きです。綾崎ハーマイオニーなんかは、どちらかというと好きくらい。「おとぼく」とか「はぴねす」なんかは、全然ピンとこなかった(好きでも嫌いでもない、というか無関心)のですけど。

女装男子」と言っても、大きく分けて3タイプあると思います。
ひとつは、上の文章の前者(志麻くん、他に綾崎ハーマイオニーとかリトバスの理樹とか)。「異性愛者」であって、「日常的に女装をしていない(女装は彼らにとって非日常・普段の彼らと女装している彼らは分断されている)」。
ふたつめは、「異性愛者」だけど、「日常的に女装している」。
みっつめは、「同性愛者」で、「日常的に女装している」。
あ、よっつめで、「同性愛者」で、「日常的に女装していない」もあるのかも。


ひとつめの志麻くんタイプ以外は興味無いので、志麻くんタイプのお話を。てゆうか、僕個人の消費の仕方を。他の人に当て嵌まるかどうかはわかりませんー。


志麻くんみたいな――多分リトバスの理樹くんの女装とか、綾崎ハーマイオニーあたりも、同じタイプだと思います――タイプ、彼らに対し、私たち男性消費者はですね、絶対的な安全圏から消費を行っていると思うのです。
あ、これは勿論、消費者側に同性愛的な指向が無いことが前提です。
彼ら女装少年が「男(消費者と同性)である」、その上「彼らは異性愛者だ」という点(付け加えるなら、日常的に女装をしていないというのも重要でしょう)。そこには私たち消費者が、恋愛的・性愛的想像力を投射しなくて済むという構図、つまり私たちが傷つかずに対象の女性性(の表象)だけを消費できるという構図が成り立っているように見えます。
普通の女性キャラクター相手に生じ”うる”、恋愛・性愛的な想像力をとっぱらい、それにより、恋愛・性愛に対する消費者側の恐怖・暴力性(被害者的にも加害者的にも)もとっぱらってるわけです。恋愛的な視線も性欲的な視線も、志麻きゅんが「男である」というただ一点で、かなり忌避できていますから(それが出来なくなったらさらに次段階だと思うのですけど)。女の子と接したいけど恋愛は怖い(さらにいえば男女間の友情も不安)、暴力性は嫌、という恐怖心も吸収している。僕らには非常に安全な道が与えられてると思うんですね。
恋愛にも性愛にもならず、そして彼らのように日常的に女装を”行なわない”キャラクターの、その女装部分だけを切り取って受容する……恋愛的・性愛的な想像力を埋没させ、とっても鑑賞的に安全圏から、女性性だけを消費できる、そのような状態にあるかと考えられます(さらにともすれば、親愛・友愛的な想像力まで薄められて、より安全さが増しているようにも感じられます)。
や、そのような状態にあるのは、僕自身のことなんですけどね。
あと、非男性性、男性性に対する自己嫌悪や抑圧、その辺。ちょっとこの辺はややこしいのですが、多分「分断」ってところがキーなんじゃないかと。女装してない志麻くんと、女装した志麻くん(以後「志麻きゅん」)を、恐らく消費者は”分断されたもの”として見ているのではないでしょうか。寧ろ同一と見る方が難しいかなと思うんですけど。あ、同一人物というのは勿論そうなんですけどね、そういう意味じゃなくて、普段の志麻くんと女装志麻きゅんを地続きに見れないというか、そもそも見る必要も必然もないというか。
彼らの女装が「非日常である」というところが重要でしょうか。あれは彼らにとって異常な状態で、普段の彼らと地続きではない。女装という可能性を辿った志麻くんが「志麻きゅん」である、という、”普段”の志摩くんとは別個の(分断された)存在なんです。うん、そうです。志麻くんとしてはどちらも同じ志麻くんなんだけど、普段の志摩くんから見ればあの女装志麻きゅんは分断された存在である。そういった限定的な分断であれば、僕たちの目から見ても、そう見えるでしょう。
だから、私たちがそこ(志麻きゅん)に、女の子になりたい願望とか、自分の男性性への嫌悪や抑圧を投射する時もですね、志摩くんと志摩きゅんが分断されているように、現今の「私たち自身」ではなくて、それと分断された、非日常を基にした可能性的な「私たち自身」を投射していると思うのです。
ここでも安全弁が働いているのですよね。「私たち」そのものを回避しているのですから、私たちの可能性(のひとつ)を投射しているのですから、フィードバックもそちらに還る、つまり私たち自身が直接的に傷つくことは(あんまり)無い。


僕が志麻きゅん大好きな理由は、おおまかこんな感じ。というか、僕の女装少年の消費の仕方がこんな感じ。で、なんで女装少年好きってほどでもないのに志摩きゅんだけこんなに好きかというと、上の要素にプラスして、単純に好みだっただけじゃないかなーとか、そう思う。そんなところです、おしまいー。