メモ:そもそも「ルート」なんてものは(外にしか)ない

http://anond.hatelabo.jp/20071214114537

CLANNADやってたんだけどさ、すごい腹が立つんだ
特定ヒロインのルートを追ってるとそのヒロイン以外のストーリーを投げるよね
他のヒロインルートのとき、ことみどうしてるの?いたたまれないだろ
智代もすべて投げてまで主人公追うのにルート外だと横恋慕で終わりか?
今さら過ぎる反応ですけど、今日はじめて知った記事なのでご勘弁を。


「あるキャラクターのルートに入ると、その子ではないキャラクターのルートはどうなるの?」
みたいな疑問・問題はたまにあります。有名なところだと、『Kanon』の「奇跡」、「誰か助かったら他のキャラが助からないじゃん」という疑問・問題。


でもね、思うんですよ。そもそも他のキャラのルートなんかないんじゃない? と。
ルートに対し自覚的なアプローチを取っているゲーム――例えば全体の構造に各ルートがある意味連続的である『Ever17』とか、各ルートを相対化することにより平行世界感を高めてる『Fate/stay night』など――を除いて、ここでは『CLANNAD』とか『Kanon』とか、あるいは古くは『同級生』でも『ときメモ』でも構いませんが、上の言葉は(というかこの記事は)そのあたりを対象にしているとお考え下さい。
ことみルートをプレイした後に杏ルートをプレイしたら、そりゃことみルートのお話思い出して想像力を働かせますし、智代ルートをプレイした後に渚ルートをプレイした場合も同じくですが、しかしそれはプレイヤーがそう思っているだけで、物語世界内ではそんなものは存在していないのではないでしょうか。『CLANNAD』は、ルートに対し特殊なアプローチを取っているので正確には当て嵌まらない(ただしそれは、メタ的な、外在的なアプローチですので、ある程度以上は当て嵌まると思いますが)かもしれませんが、プレイヤーである僕たちは、色んなヒロインのお話/ルートを、ifの世界、平行世界的に体験していますけど、それはプレイヤーだけであって、そもそも、物語世界内にはifも平行も存在していないのではないでしょうか。
言い換えると、「ルートなんてもの自体が存在していない」
これは外から見ている僕たちがルートというもので混在する物語を把握しているからそう見えるだけであって、(CLANNADを例にすると正確さを欠くことを承知で言いますが/つまり『Kanon』でも何でもいいけど、なんか他のに置き換えてもらいたい)物語内の朋也くんは、その時その時の朋也くんだけが確固とした朋也くんで、僕たちは、例えば智代と過ごすことを「智代ルート」とか理解しますが、物語内の彼にとっては、それは別のルートとの代替可能性の無い、唯一無二の道なのではないでしょうか。僕たちの現実の人生に「ルート」などというものが喩え話や空想の中にしか存在しないように、彼にとっても「ルート」などというものは存在しない。

「傍流」
えっと、タイトル覚えてないのでナンなのですが、先日立ち読みした(や、持ち合わせなかったので。今度買います)ゲームの批評だか分析だか、なんかそんな感じの本に、ノベルゲームにおける「選択肢」とそれに付随する「ルート(平行世界的な・ifのお話)」について、「傍流」……「傍系」だったかな……うろ覚えなんですけど、そんな感じに書かれてましてね、例えば「スピンオフ」にあたるような傍流・傍系のお話を、本編の物語と一緒に読めるのがノベルゲームだ、みたいなことが(うろ覚えなんで違うかもしんないけど)書かれてまして。

それだけしか覚えてないので、ここからは引用ではなく僕の考えになりますが、ノベルゲーム――ギャルゲー/エロゲーのそれは、全てのルートが既にして等質で内在しているということが、受け手(プレイヤー)が、最初に記した増田さんみたいな反応を示すことに繋がるんじゃないかと思うのです。もちろん、メインヒロインとか、サブヒロインとか、CLANNADだったら一人だけ飛びぬけて描写される渚とか、後に続作がでる智代とか、そういう点で全てが等質にならない投錨は打たれてますが、それでもなお、それを抜かした「ことみ、杏、風子」のルートは、どれも正史ではなく傍流か、どれも傍流ではなく正史か、そのどれでもないかでしょう。そこに――例えば俺は杏大好きだから杏ルートが正統ルートだぜ、みたいな好みを除けば――なんら上下はない。作者の意図や読み手の直截的な感情を除いたテクストとしてみれば、個々のルートは全て同質に存在している。
Kanon』の、誰か助けると誰か助からないとか、それをテクストの方に求めるのは無理がある。なぜなら、その「誰か助ける」が描かれてる世界は、別のルートで「誰かが助かった」が”存在しない”世界だから。みたいな。それでも、読み手がそう読めてしまう(そういう想像を働かせてしまう)のは、基本的には全てのルートが等質・等価で存在しているから。とか。……なんか違うかな。

これは、ここでの受け手の思考・感情は、僕が知る限りでは、ノベルゲームに特有かもしれないなと思うんです。例えば漫画の『ワンピース』で、ルフィが海賊になるんじゃなくて海軍に入る、なんてお話がもし公式であったとしても、もしそれが現行の連載と同時連載されていたとしても、受け手(プレイヤー)が最初に記した増田さんみたいな反応を示すことはあまりないんじゃないかなぁとか。その分水嶺となるのは、ノベルゲームの選択肢と選択できるということ・時間・既にパッケージ内に全ての物語が在る*1ということ、その辺が関わるかと思うのですが考えが全然まとまってないので唐突ですがここで終わります。

*1:たまにそうじゃない(あとでパッチ)もありますが