Angel Beats! 第6話の感想

よし来た。ついに来た。てゆうか、これが6話にして来てしまった。えーと、CLANNADと智アフとリトバスと沙耶シナリオのネタバレあります。

「そんなまがいもんの記憶で消すなぁーー!!」
「俺たちの生きてきた人生は本物だ! 何ひとつ嘘のない人生なんだよ! みんな懸命に生きてきたんだよ! そうして刻まれてきた記憶なんだ! 必死に生きてきた記憶なんだ、それがどんなものであろうが、俺たちの生きてきた人生なんだよ! それを結果だけ上塗りしようだなんて。お前の人生だって、本物だったはずだろぅ!」

うん、なんか書くまでもないけど、「どんなことだってそれはそれで本物のはずだ」という指向。強盗になんか奪われまくるようなそれはそれは不幸な人生であったとしても、しかしそこでお前が苦しんだり悲しんだりしながら生きてきたことは本物で、たとえ行き着く先に幸せがないとしても、悲劇としてバッドエンドしかないとしても、その人生は、それは「本物」なのだ。結果だけ上塗りして手に入れる幸せの幻像を手に入れてしまえば、お前が苦しんで生きてきた不幸の実像が失われてしまう。それは「本物」なのだ。「幸せ」は偽りでしかなく、真実は「不幸」でしかない、偽りを受け入れれば「幸せ」になれるけど、お前が苦しんできた、本物のお前の人生は消えてしまうぞ――。


ということで、「どうして朱鷺戸沙耶さんの秘宝がタイムマシンじゃなかったのか」を麻枝さんが見事説明して下さった回でした。そもそもこの流れには変遷がある。『CLANNAD』では、渚が死んだ人生は、そして汐まで失ってしまう人生は、それはそれで(あの)朋也には「本物」であった筈なのだ。渚が死んで途方にくれたことも、生きる目標や目的を失って自棄になったことも、汐を放置し続けてきたことも、そしてそれを止めることにしたことも、苦しみながらももがきつつ進んでいく様も、全部「本物」だった筈なのだ。いや実際に本物ではある、それは嘘でも夢でもなくもうひとつの人生なのだけれど、けれど、しかし最低でも等価値な、別の人生も提示してしまっている。朋也の人生はどちらも本物ではあるのだけれど、同時に、どちらも達成され得ない(あの描かれ方を見れば明らかでしょう)。代わりに、本物をプレイヤーに押し込めることに成功することによって「CLANNADは人生」に成り得たのですが、それはまた別のお話。ちなみに京アニ版は本編最後に番外編の「一年前の出来事」を入れてたように、「はじまった時点で全てが終わっている(決まっている)」という解釈によりまったく別のモノとして纏まっている。では『智代アフター』。ここでは『CLANNAD』のような、現実に「何かをなかったこと」にしてしまう要素はない。ですが、心的に「何かをなかったこと」にしてしまう、記憶喪失が重要なものとなっています。とはいえ『CLANNAD』におけるようなソレはない。てゆうか『智アフ』をこの文脈の俎上に載せるほどの理由は(リリースタイミング以外に)なかったりするのですが。敢えて言えば、朋也視点であるが故、記憶喪失の朋也と智代との3年間がまったく描かれない点なんかでしょう。残念ながら、プレイヤーにとっては、智代が3年間苦しんでもがいて悲しんでそれでも歩みを進めてきたことは、事後の語りと周囲の反応などからの推測でしか計り知れない。もちろん朋也にとっても同様で、だからこの視点である以上当たり前なのですが、ですが、(私たちが)気をつけないといけないくらいにそれは遠くでしか語られない。で、『リトルバスターズ!』。言うまでもない苦肉の策。ナルコレプシーを解消するため、「生まれ変わる」例のひらがなだらけの一幕です。これは麻枝さんの当初のシナリオ(のラスト)に対しスタッフから疑義が発せられ、それに対応するために書き換えられた(書き加えられた)部分なのではないかと推測されますが(当初どおりならば「いらない」箇所なので)、しかし悲しいことに、ある意味では催眠術であった。そうしなければ生き残れないとはいえ、そうしてしまったことで、ナルコレプシーの理樹が生き残れなかった。もちろんこれは、結果だけ上塗りされたのではなく仕組みが上塗りされた(象徴的秩序の再構築)のであって、催眠術ではないのですが、多少力技に感じてしまいました。というのも、ここでは、根本となる悲しみや苦しみが在っても、その後に出会ってきた悲しみや苦しみが無かったから。当たり前の話です。「そもそものはじまり」の時点を変えるのですから、「続き」の部分が無くなって(この秩序では居場所をなくして)しまう。

とまあ申し訳ありません、駆け足&思い出しで書いているので事実誤認やうっかりミスが多発しているようなまとめですが、とにかくそんな感じの(ファジーに読んでね!)変遷があったわけです。「必死に生きてきた記憶なんだ、それがどんなものであろうが、俺たちの生きてきた人生なんだよ!」。『CLANNAD』では、それは唯一のものとして扱われなかった。『智アフ』では、取り立てて言うほどではないといえばそうなのですけど、しかしながら「智代のソレ」が、朋也に対するが如く優しく濾過されていた。『リトバス』は、その不幸を受け入れられなかった。恭介たちが死ぬけれど理樹の悲しみや苦しみが残るという本物ではなく、恭介たちが助かるけど理樹の悲しみや苦しみが消えるという本物。どちらも本物の人生ではあるけれど、生きてきたそれまでを明後日の方向に慮外してしまうような処置ではあった。そして『リトバスEX朱鷺戸沙耶』。「タイムマシン」というやり直す手段を目の前に提示されても、それを蹴る。彼女の人生は彼女の人生なのだ、欲しいものが得られなくて、短い人生で、苦労もしたし悲しいこともあったけれど、それは彼女の本物の人生だ。「理樹くん」「あたしと出会うルートは…」「バッドエンドなのよ」(リトバスEX本文より)、だけれども、そこで手に入れた、「これはあたしの青春だ。その中を精一杯に理樹くんと駆け抜けた」「よかった…。こんな温かな世界に…一時でも居られて」(リトバスEX本文より)は、彼女の本物の人生だ。死後に迷い込んだ学園で手に入れた、彼女の本物の人生。だから秘宝はタイムマシンではなかった(と僕は思っている)のです。過去に戻れてしまえば、やり直せてしまえば、”これらは嘘になる”。少なくとも唯一の本物ではなくなる。叶わなかった夢が叶うようになるかもしれないし、悲しい思いや苦しい思いをしなくて済む人生を送れたかもしれない、けれども、ここで得られた彼女の青春も、消えてしまう。
なんて言いつつ、その辺(秘宝絡み)作中では未確定的に扱われていまして(つまり、こんな自信満々にタイムマシンじゃねーよとか僕ほざいちゃってますけど、本当は実はタイムマシンだったかもしれないってことでして。そもそもKeyは(作り手自身がインタビューで語るように)「自由に解釈下さい」的な側面が強いので、タイムマシンじゃない・である、はどちらも一解釈であるのですが)、そこがまた面白いところでもあるんですけどね。リトルバスターズのみんなと笑いあう一枚絵がエンディングで提示されるけど、実際にそうだったわけではない。ただ、「その絵はある」。最低でも、そのくらいの幻像はある、幸せな実像。それは私たちにとっても。私たちにとってこそ。


ということで、AB!をその変遷のラインから見ると、沙耶から続く方向に向かっているんじゃないかなと思わせるに充分なセリフでありました。しかもまだ、第6話なのにこの発言ですからね。まだまだ、二転三転、二飛躍三飛躍する余地が残されているだけに期待が大きいです。

「お前の人生だって、本物だったはずだろ!」
「頑張ったのはお前だ、必死にもがいたのもお前だ、違うか!」

そう、この一言だけで充分であった。



以下メモ。

■ SSSが反省室に入れられていた様子は見せず(解放された瞬間からはじまる)、殺されまくるSSSはほぼ見せず(ほぼ死体からはじまる)、元副会長のお話聞いてたら、いつの間にかその死体すら無くなってしまっていた。これは、特にその最後のは、別に書き忘れとかじゃなくて、実際に死体のひとが成仏して消えたとか、何か理由があって(たとえば復活する前に一度姿を消すとか)消えたとかなのだろうけど(当たり前か)、それでも意味深長的です。結果として、光景が凄惨すぎない程度に――凄惨すぎる場面が多すぎない程度に調整されている。雨の中でしか死体は存在できていないのです、雨が視界を覆って、雨が洗い流してくれるような場面でしか、死体は存在できていない。

■ 一言でいうならば、大山くん可愛い、しかないですよね。冒頭、松下五段はユイの「胸揉んだことあんのか?!」発言に赤面しますが、一方、大山くんは高松の裸体に「なんで脱いでるの?」と赤面するのでした。たとえ同性であったも現前する裸体に律儀に赤面してくれる大山くんはマジ大山です。(僕の中では、大山くん>天使>>>>越えられない壁>>>その他)

■ 会長代理に捕まりそうになった野田が斧を向けたのは、まったく見当違いの方向で、まったく会長代理ではない、ただの一般生徒。このような、狙ったわけではないけれど生じる錯綜・誤解、そして狙わずに牙を向けてしまう失踪ぷりこそが、野田くんでもあるのでしょう。

■ 授業中の天使の席は前から5番目くらいのところだったのに対し、音無くんが麻婆誘ったときの天使の席は、前から2番目。前回(第5話)のテストのとき、はじめて音無くんが彼女の名前を知ることとなり、彼女が天使からヒトに失墜するときも前から2番目。さらに前回は教室右端(廊下側)で、今回は左端(窓側)であった。学校内の他の教室・部屋にダイレクトに続いていくという廊下側に対し、直接的にはどこにも繋がっていないけど、空という自由・可能性を想像・象徴させるところへと繋がっていく窓側。その配置の差異に、天使自身の変化の差異の隠喩を読み取ることもできるでしょう。たぶん。



■ 学食での食事風景は、綺麗に、天使→光にあたる(窓に面す)、音無→そこと隣接して陰である(壁に面す)、というように分かれている。あまりにも綺麗に。ただし窓の外には空も風景もなく、光しかない。あと柱の形が、まるで天使ちゃんが十字架を背負っているかのようになっている。



■ 天使と共に特殊反省室(仮称)に入れられる音無くん。SSSの仲間と共に入れられた姿は描かれることすらありませんでしたが、それはさておき。天使、音無くん、水滴、爆音、無線機から聞こえるゆりっぺの声。今のこの場・状況や、音無と彼女たちとの関係を象徴しているようなレイアウトです。天使は同じ部屋にいるけれど寝ているだけで、ゆりっぺは離れたところに居るけれど声だけが届いている(双方向ではなく一方的に……そしてそれは常のことでもある(音無に対しては、常にと言えるくらいにゆりっぺが一方的に語りかけている))。そして、爆音=戦いのはじまりと共に落ちだしてきた水滴は、音無くんと天使の間に落ちる。音無くんと天使の間にたわる、この場を寝食する――部外者的なものがこの水滴、戦場から溢れ出しここまで届いている戦いの証拠であり、それはふたりの間に落ちるけれど、しかし意外なほど「小さい」(もちろんこの水滴は涙に繋がっている)。

■ 「もし俺に記憶があったら……。最初にバカな質問をしなければ――この世界で俺は、お前の味方でいたかもな」。そういえば、音無くんが思い出していましたが、第一話で彼女に銃弾を与えた場所は「橋」。橋があちらとこちらの分岐点を象徴する――想起させるのは言うまでもないですが、あの時、たとえバカな質問をした後でも、あのとき撃たなかったら、また違っていたのだろう、みたいには見えます。……しかしそれ以前に「もし俺に記憶があったら」を付け加えている。



■ さり気に手を繋ぐ音無くん。天使ちゃんとの身体的接触ランキングは断トツの一位です(てゆうか、音無くんしか触れていない)

■ 「何年かけて作ったと思ってるんだ」というセリフには少し驚きで、つまり生徒会長代理は何年もかけてこのクーデターまがいを企んでいたということでしょうか。要するに、神になる方法。神になるためには天使が邪魔で、天使をどうにかして閉じ込めるために何年もかけてあの檻を作った――翻れば、代理は何年も前からここに居たということになりますが、天使もまた何年も前からここに居たということになります(※それが立華奏と同一人物かはさておきですが)。

■ 「ここは神を選ぶ世界だと、誰も気づいていないのか」「生きる苦しみを知る僕らこそが神になる権利を持っているからだ」 ――これもまた、生徒会長代理が勝手に言ってること? 本当は神を選ぶ世界なんかじゃなくて、彼が勝手に、ここは神を選ぶ世界だと思い込んでいる――ああ、なにせ彼は父の愛を求めていたのだから、自分が神となって自分自身でそれを得ようとするのも道理でしょう。思い込むだけ動機がある(しかし出来すぎですがw)。話し振りからは判断しがたいところもありますが、果たしてどうなんでしょうか。ぶっちゃけ、これが第11話くらいなら、どんな真相であろうとそうなんだって思えるけれど、まだ第6話ですしね、もう何回転かしてもおかしくないんじゃないかと。

■ 天使はヒトに「なった」。天使はヒトだったというより、天使はヒトになった、(前回から続いて)そうと思わせるくらいの勢いの描写、つまり音無くんの視る、彼女の孤独。でも逆に言えば、これのお陰で天使ちゃんはヒトになれた、ということでもあるでしょう。現時点においては。