Angel Beats! 第3話の感想

岩沢さん



岩沢さんの、生前の回想に出てくる「ひと」の描かれ方が興味深かったです。顔が映されない、特に目は決して映されないというのもありますが、その「動き」もまたおかしい。上に引用した画像のところなんか特にですね。岩沢さんがお皿を落として割ったというのに、誰も声をかけず、動かず、ただ見ているだけ。岩沢さんが立ちくらんでも、そう。そして岩沢さんが倒れても、同じく。駆け寄るどころか、何らの反応も示さない。これがはじめから「見てない」というなら分かりますけど、見ていて、この反応(の無さ)。人間とは思えない。これじゃまるでNPC
学校の先生も、オーディションの審査員も、バイト先の同僚も、病院の先生や看護士も、両親も。顔がない。眼がない。そして動きがない。動かない。バイト先の同僚が何の反応も示さないように、両親は押し引きする動きをパターンのように繰り返すだけで、喩えるならば、まるでNPCのように、決められた動きしかしない。

……とはいえ、これが「本当」だと断じてしまうには早い。実際に、現実に、この動き・描かれ方と同じように、両親はパターン的に押し合いへし合いしていて、バイト先の同僚は倒れてもシカトしてくる奴らだった――というのは、どう考えても無理がある。「本当に」みんなこんな動きをしていたのか? とは到底思えないという意味です。本当の動きからは歪めて描かれているのではないだろうか。事実、顔が描かれない・目が描かれないように、「本当」からは歪めて描かれている。ならばこれは、「本当にそう」だったのではなく、「岩沢さんの認識」だったのではないだろうか。

これは、本当にこうだったのか、それとも、これが彼女の認識――「彼女の世界」なのか。彼女が見た世界、彼女にとっての世界。



岩沢さんが衝撃を受けた音楽を聴いた瞬間。彼女が「死んだ(と目される)とき」も、ベッドの上の彼女を残して世界は黒く消えるという、同じ表現したが、ここの表現は象徴的なのかなと思いました。岩沢さんの中の、衝撃が可視的に表現されていますが、この時、「世界はなくなってる」んですよね。周りの風景・背景=彼女のすぐ傍に実際にあるもの=世界が、消えて落ちてる(「全てが吹き飛んでいくようだった」という彼女の言葉通りに)。逆の場合を想定すれば分かりやすい。世界が残されたままなら、世界の中に居る私が受けた衝撃という図式に読めても、世界が消え去ったのなら、世界が消え去るほどの衝撃、あるいは、”世界など関係なく受けた衝撃”。ややこしい書き方になりますが、これは、実際に世界がなくなってるんだから当然ですが、(世界における)自分が受けた衝撃が世界における自分に在るのではなく、世界と関係なく=世界が消えても自分に在る衝撃でしょう。だから岩沢さんは、死んだ後でも(世界が消えた後でも)まったく関係なくその想いが引き続いてるし、それが彼女にとって、世界が消えた後でも「生まれてきた意味」として機能しているし、自分が消えた後でも続いている。そういうカタチの衝撃なら、たとえば、両親の・両親との仲が良くなろうが大金を得たりしようが、そんなことと関係なく、彼女の在り方=歌い続けることは変わらないと考えられるということです。それは勿論、実際にそうなっているように、たとえ死のうが。死んだ後でも。そして、死んだ後にさらに消えた後でも。

これがあたしの人生
こうして、歌い続けていくことが、それが、生まれてきた意味なんだ
あたしが救われたように、こうして誰かを救っていくんだ
やっと……やっと、見つけた

生まれたきた意味――この場合*1、「生前の」生まれたきた意味と、「今ここ」にいる生まれたきた意味。その両方、というか、その両者は同じというか。それは、この世界でも叶えられてるし、だから、この世界でも”見つけられた”のでしょう。生まれてきた意味を見つけてしまって、それを*2受け入れれてしまったら、もう運命に抗うことはできないんじゃないでしょうか。(実際のところの消える理由が何なのかは分からないので、仮にですが)
あたしが救われたように、こうして誰かを救っていくんだ。それは、「彼女たちの音楽が支えになってるの」とか、「そうよ!ガルデモのライブは、私達にとって唯一の楽しみなのよ!」というNPCのセリフが実証していますね。

ユイが『crow song』(第1話で挿入されてた曲)について「歌詞もですね、まさに岩沢さんのことを……」と言っています。

いつまでだってここにいるよ  通りすぎていく人の中  闇に閉ざされたステージで  いま希望の歌うたいたい  あなただって疲れてるでしょ  その背中にも届けたいよ  こんな暗闇の中からも  希望照らす光の歌を  その歌を
(ラストの部分。聞き取りなので、本物とは歌詞違うかも。)

本編ではユイのセリフは途切れていますが、文脈的にも、「岩沢さんのことを表しているかのように……」とか、そんな感じに続くかと思われます。ユイがどれくらい岩沢さんのことを知っているのか・親しいのかにもよりますけど(これまでの描写を見るとそんなでもないかのかな、と思いますけど(第1話とかスタッフにも遮られ岩沢さんに見られることもないおっかけレベルの描写だったし))、この発言は多分、岩沢さん自身のことではなく、「ユイから見た」岩沢さん自身のことを意味しているんじゃないかなと思うのです。というか、ユイが岩沢さんのことを深く知らなければ、エスパーでもない限りそうなる可能性が一番高い。しかし、最終的には、「岩沢さん自身」のことにもなった。

「音楽が支えになってる」「ライブが唯一の楽しみ」というセリフが、暗に示していますね。また、このライブに大量の生徒が集るという事実も。ライブが唯一の楽しみで、それを妨げようとする生徒会長や先生に反抗する。音楽が自身の支えになっていて、それを妨げようとする生徒会長や先生に反抗する。生徒会長や先生に反抗するくらい音楽・ライブが楽しみで、支えになっている。ということは、翻れば、もしかすると「それほど酷い」状況にいるのではないでしょうか。全員が全員ではないでしょうけど。少なくとも、この発言をしたNPCの彼女にとっては、この世界で生きていくことは、”そんな支えが要るほどに”、辛いものだった。厳しいものだった。―――ならば、つまり、『crow song』は(岩沢さん(ガルデモ)のライブ・楽曲は)まさに、暗闇の中において希望照らす光の歌、だったのでしょう(そして多分、それはユイにとっても、ある程度は)。
そういった、この「歌によって希望を得ること」。それは「こうして誰かを救っていくんだ」ということと同じですね。実際に、岩沢さんの(ガルデモの)歌は、こうしてNPCの彼女たちを救っている。


では生きる意味・生まれてきた意味を知り、理解し、納得したら消えるのか。公式サイトで天使が語るように(http://www.angelbeats.jp/story/「どうか、彼らが、彼らの物語を終えられますように。手を振って、見送れますように。よかったね、と。」)、それは「物語を終えられたこと」なのか。周りが自分に見い出すものと、自分が自分に見い出したもの、それが合致し、自分の意味が完成した瞬間に岩沢さんは消えたのですが、それが「消えること」にどういう意味を持つのか(てゆうかこの理解はどこまで妥当なのかw)。まったく正中が掴めないのですが、それこそが、現時点でのAB!の物語面の魅力のひとつでもあるんですよね。

inゆりっぺアイ、out天使アイ

さて、こうなってくると、見事にNPCという定義の「怪しさ」が浮き彫りになってきますね。音楽が支えになって、ライブが唯一の楽しみで、その為には生徒会長や教師に反抗する。そんなことを思い、そんなことをする奴等が、本当にNPCなのか? と。
そもそも「NPC」というのは、ゆりっぺが推測的に導き出した回等だと考えられます。一般生徒のことを「NPCだ」と説明した後に、ゆりっぺはこのように続けます。「たとえよ。連中はこの世界に最初からいる模範ってわけ」(第一話)。NPCって名称はあくまで「たとえ」なワケですね。人間となんら変わらないような反応をしてくる。けれど模範的な行動ばっかで、変な行動はしない。そんな奴等がいたら、たしかにNPCと喩えたくなる―――ですが、それはあくまでも「たとえ」。本当に「NPC」だとは限らない(勿論本当にそうかもしれないけど)。
Angel Beats!』の設定などの説明は、基本的にこうなんですよね。「ゆりっぺの口から語られてる」ものばかり。天使が天使であることにしろ、ここが死後の世界であることにしろ、「ゆりっぺがそう言ったから」以上の根拠が示されていない。それでいて、当のゆりっぺとて、世界の真実や本当を知っているワケではなく、状況証拠からの推測で語っているように思える―――けれど、音無くんが来る以前の「この世界」の様子が”ほとんど語られない”以上、どこまでがそうなのか分からないように出来ている。
生前の記憶があることから、ここを死後の世界と推測したのだろう。その世界で私達を成仏させようとする奴がいて、じゃあそれは天使だろう。模範的な行動しかしないのだから、あいつらはNPCなのだろう。自殺の記憶を持った奴がいないのだから、自殺した者はこの世界にいないのだろう。 という推測から、ゆりっぺの結論(仮説)が導き出されているように見える、けれど。 全てが推測なのではなく、ある程度は世界の真実・設定を(何らかの理由で)知っていて、それを語っているのかもしれない。

このあたりが非常に上手いです。真実を語っているのか、憶測を語っているのか、憶測だけどそれが真実ですという正解を語っているのか。その正中が、掴みきれないように出来ている。たとえば、NPCがライブ・音楽に熱狂すること。「模範」の奴等が生徒会長や先生に逆らってまで音楽に熱狂するってことは、奴等は「模範」ではないんじゃないか?―――つまり彼らは本当に「模範」なのか? 本当にNPCなのか? という疑問が生じてくるのですが、しかし、生徒会長や先生に逆らってまで音楽に熱狂する・あるいは自分の大事なものの為なら生徒会長や先生に逆らえる、という姿勢まで含めて「模範」なのかも? という疑念も生じてきてしまうのです。いまやネット上には物語が二・三十本書けそうなくらいAB!の真相案が溢れていますが、その辺はこのように、信頼していいのか分からない真実の語り手を配したところにもあるでしょう。そして、このような世界・設定・真相の語られ方―――つまり、ゆりっぺの目を通したものが語られるという語られ方(あるいは、はじめに提示されたものはゆりっぺの目を通したものであった、という語られ方)、そして対するように、質問に答えることはあっても、攻撃に防御や反撃をすることはあっても、外側から見たそれしか語られないように、天使の目を通したものは何も語らない。あくまでも現時点ですが、これにも先々、意味が生じてくるでしょう。

以下、箇条書きでメモ。

  • OPの部屋は天使の部屋でほぼ確定。ただ、まったく同じ間取りで部屋にあるものも同じ部屋が他にもあって、そこかもしれないとか、(ここが死後の世界だとすれば)現世で「同じ間取りで同じモノが置かれていた部屋」、つまりこの天使の部屋のモデルになった部屋がある可能性もあって、意味としてはそちらを指しているのかもしれないなどありますが、そんなこと言い出すとフツーにきりが無いのから没で。
  • NPCとSSS(除くガルデモ)の関わらないっぷり。SSS側はNPCを、利用するけど、直接接触しないし、NPCの方からもしてこない。実際、音無くんに関しては、彼らと一度も触れる・喋るといった関わり合いを持っていないかもしれない。こうまで「離している」のは、彼らは本当にNPCみたいなもので、描く必要がないからそうしているのか、あるいは、何らかの含みがあるのか。まるで「陽動」のガルデモが、そういった接触も含め全てを陽動してしまっているかのよう(しかしガルデモですら、触れられるのは「歌」だけですが)。
    • 対し、今回がそうだったように、天使はNPCと関わっている。直接的に言葉も交わす。この接触性の落差は何なのか。
  • 「まるで悪役ね」と、天使。このセリフから考えるに、「まるで」というのだから、彼女は自分のやってることが「悪い」とは微塵も思っていなのでしょう(実際に悪いことなのかどうかは措いといて)。それどころか、彼女自身としては、「正しく導いてる」つもりでやってるようにも見受けられます。つもりというか、正しいのだと、確信している、かのよう。
    • 彼女が天使ならば、それは神から授かった正しい役目だ、という理由が簡単に導けますが。彼女が天使でないのだとしたら、果たしてどういう理由でこれを行っているのか。実はこの学園の生徒会長の責務だ、とかかもしれませんがw
  • なぜSSSは制服を変えるのか、変える必要があるのか。視聴者にとって分かりやすいとか、そういう物語外の要素を排除したところでの理由。制服を変えれば、結束を高めるみたいな効果はあるとしても(プラス反抗のファッションかもしれない)、天使に「敵」だと一目でバレてしまうのに――と思ったけど、なんか「そうでもないような」感じもします。なんというか、天使はSSS自体を「敵」と認識しているのか、はたして、といいますか。なんらかの基準の違反行為者に対して現行犯的な是正活動はするけれど、後からはしない・ないしあまりしないのかも。じゃなきゃ、作戦活動外のとき、SSSがその辺に居るだけのときを天使が狙ってこないというのはちょっとおかしい。制服変更は、NPCNPC性(人間だったらそこに疑問を持つだろ)を高めてはいるけれど。
    • あと、こんな風に簡単に制服を変えるくらいなのだから、制服はそれこそ「土くれから」簡単に作れるのだろう、と予測される。
      • パソコンとかも「土くれから」作ったのだろうか。もちろん「土くれから」というのは比喩表現であって、つまりこの世界のモノを作るルールで作ったのか、ということ。ガルデモライブの学生ライブにあり得ないレベルのやけに派手な舞台装置もそうなのでしょう。
  • 天使パソコンの生徒データの、成績という項目が成仏的なアレなのか。
  • 岩沢さん居なくなった後、「天使に消されたのか?」というセリフがあったことから、恐らく天使は「消す」能力を持っている。あるいは、天使と接触したことで消された者が過去におり、そこから、天使はそういう能力を持っていると(SSSのひとに)推測されている。
  • 「そこから導き出されるのは、最悪の設定だ」。神がいないことが「最悪(の設定)」である――――――神がいなければ、反抗する相手もいなくなり、反抗する理由すらなくなってしまう=「運命を設定する者=神」がいないのならば、運命に対し異議を唱える対象がいなくなってしまうどころか、運命というもの自体が無くなってしまう。ならば、運命というものに対する、文句も意義も唱えられない*3。つまり、ここまでの抗いも、この先の抗いも、全く無意味、端から見ればワガママにしか見えないということ。つうか僕には、居るんだかどうかも分からない神を根拠に色々とやって天使にちょっかいかけるSSSの方がむしろ「理不尽」に見えるくらいなんですけど―――たぶんワザとそうやってるんだと思いますけど。「理不尽に抗うものもまた、誰かの何かを理不尽に侵している」という構図がそこにはあります。神(ないし、それに該当するような存在)が居ないのなら、それは加速するばかりになると思いますが、はたして。

*1:死後の世界という前提でいうと。

*2:なにせ自分がそれで救われたのだから、受け入れざるをえない

*3:たとえば強盗のように「ひと」に対してならば唱えられるだろうけど。