ハルヒ感想の続きを書く、と記しましたが、一応書いてます。あとで記します。
てゆうかあそこから1.5倍くらいの文章量になったけど、いまだに『OP前』のことしか書いてないってのはどういう了見。OP前で力尽きそうな気配。


で、自分の視座というか注視ポイントというか……「考察したいのは何なのか」が分かったんですが。
ハルヒの自己肯定の話』なんじゃないかな、ってのを考察したい。多分。今のトコ。
http://d.hatena.ne.jp/LoneStarSaloon/20071225/1198524583
↑これに大体書いたんですが、そもそもハルヒの不思議探し・不思議好き、つまり「特別」を志向する思考は行き過ぎて自分を否定してしまってるんです。だって興味あるのは「宇宙人、もしくはそれに準じるナニカ」で、「ただの人間には興味ありません」ならば、こいつって自分にも興味ないわけじゃないですか。(自分の能力は自覚してないわけですし)
特別じゃなければ価値は無い、と断じる。だがその実、自分自身は特別ではない。だから探す。「特別」を。自分自身に価値を見い出せるような特別を――価値を見い出せるような出会いを。
けれど結局は、「興味ありません」と言っていた、ハルヒから見ればただの人間であるキョンに興味を持ち、みくる・長門・古泉(ハルヒから見れば普通人)にも多少なりとも興味を持つ――しかも、「こんなことしている暇は無い」と断じた、ただの人間と過ごす時間を自分から作り出している――という変化。
「白雪姫」「眠れる森の美女」――それは両方とも眠っているお姫様を起こすための口づけ。眠っている。何に眠っている?何を目を瞑って見ないようにしている?
その辺を注視してこうかなー、と。



今回は本気で……や、本気は言いすぎ。「それなりに」、考察するつもり。気になるから、引っかかったから考えるーという行き当たりばったりで結果オーライ狙いが僕のスタンス(っていうか、そんな能力しかない)なんですが、今回ばかりはテーマを狙って、自分なりの答えまで導き出したいところ。
や、ね、意外と面白いんすよ。ハルヒ見て考えるの。それだけの懐の深さを持った作品であります。



CLANNADの感想を書こうとする時。ハルヒが常に脳内のどっかに引っかかってて、ハルヒのことを考えてるのか、CLANNADのことを考えてるのか分からなくなって困る。超ごっちゃ。