京アニCLANNADの朋也が京アニKanonの祐一になるかどうかは多分五分五分。

京アニCLANNADの朋也が京アニKanonの祐一になるかどうかは多分五分五分。

京アニKanonの(中盤くらいの)祐一のたらし・ジゴロっぷり、異常性は、女の子にたくさん会っているからでもあるのですが、より正確を期すなら、女の子にたくさん会うために(走ったり焦ったり時間を捻出したりと)努力しているからこそ異常さが際立っている、のだと思う。特に昼休みなんかはキツキツのスケジュールで、栞と裏庭で会ったあと速攻で舞・佐祐里さんと昼食しに踊り場へ向かう(しかもその前後に名雪との会話が挿入される場合も)という、正直、見ているこちらとしては「何がこいつをそこまでさせているんだ?」と疑問に思わせるほどの勢いでございました。
原作のエピソードを拾うためではあるのですけど、そこのトコ置いておいて見ると、"複数の女の子に会うために時間を捻出したりして努力している"、ここにこそ異常さ――並びそこから始まる感情移入の阻害、があるのではないでしょうか。
で、京アニCLANNAD。取り敢えず今の所は、女の子たくさん出てますけど、そういった異常さは見当たりません。何故かというと、朋也が女の子に会うために努力や苦労をしていないから。杏はむこうから勝手に来るし、智代は春原の付き合いだし、風子・ことみは今の所偶然の出会い(つか出会ったばっか)だし。唯一自分から率先して関わっているのは渚のみ。
自分から動いているのではなく、相手から来ている、不可抗力の成り行きで会っている、偶然である、といった点から、現時点ではそこら辺は問題ない。 のだけれども。
当たり前ですが、自分から動いていない、誰かの付き添いで会っているという作りでは、恋愛関係はもとより、仲の良さ、絆の深さ、必要としている・必要とされている関係、の表現として不十分でしょう。また『偶然会う』はこれら全てを解決する魔法の方策でもありますが、そんな立て続けに偶然が起こっていたらそれこそ物語としてのリアリティーが失われてしまいます(現に第2話、風子・ことみの二人と偶然出会うというだけでも、少し都合が良いなと思えてしまったり)。
ここまでは、これまでのお話し。で、ここからは、これからのお話し。
女の子と会う形をどうするかは、シナリオをどう転がすかで全く変わってくるので流動的でもあって、一番大きな違いをもたらしそうなのは(原作ネタバレ反転)渚と付き合ってから他キャラのシナリオを進めるのかどうか
原作でも上記の状態で勧められたシナリオはありましたが(風子シナリオとか)、他キャラもまあ、その状態でも何とかなると思う(杏に関してだけは大幅な改変が必要になるけど、むしろ改変はうれs) (あ、でも、涼を空気にすれば、ラストの方以外はそんなに変えなくてもいけるかも?)
この状態ならば、京アニKanonの時には不明瞭のまま進めた「女の子に会うための動機」をはっきりしなければならず、その点、京アニCLANNADの朋也は妙に優しい人補正がかかっているので、すんなり行き易いと思われる。


あー、どっちにしろ、会うための動機さえはっきりさせておけば、京アニKanonと同じ轍は踏まないと思われますね。その為の朋也優しい人補正でもあるのかなぁ。渚に自己紹介するシーンの変更なんかが印象的で、原作では廃部になっていた演劇部室の前での自己紹介だったのだけれど、あれは、自己紹介という「渚に関わるという選択肢」を、「渚を助けたい」「渚を助けることが出来る」「渚を助ける」という筋道の上で決定したというカタチ、つまり、苦難に直面している渚の前にいるからこそ、渚に関わろうという選択を選んだのですが、その渚に関わるという選択に至るハードルが、非常に低くなっている。つまり、朋也やさしい人補正でもあるなぁ、と。や、みんなに優しくなるのは、正しいのですが。
取り敢えず現時点での結論は五分五分というか、現時点で結論出す必要はないわな。