涼宮ハルヒの憂鬱1感想とか その1

や、今日あらためて見たので。
アニメ版ハルヒ視聴は1年半ぶりくらいですが、放映当時は沢山みました。原作は「消失」だけ読みました(「分裂」もちょっとだけ)。



・最初のところ、オープニング前の部分は相変らず最高。キョンが過去思っていたことを語りつつ、映像は淡々と入学式に赴くキョンならびに学生達を映して、日常を表現したかのようなまったり穏やかながらもどこか惰性的な音楽。このフリをしておきながら、モノクロで淡々な映像が、惰性的な音楽が、その全てが、ハルヒキョンが視認した瞬間に変わる。過去と現在の自分しか語っていなかったキョンのモノローグが、「結果から言うと…」と、いきなり未来のことを語りだすのも併せて。


・サンタクロースの存在の怪しさ、には気付く。宇宙人や未来人や超能力者(以下略)の存在は、まあそこまでは怪しいと思っていなかった。この違いは自分に対して「それがいないというだけのことを証明する」要素の「ある・なし」からくるものかなぁと、少し思う。
サンタクロースは宇宙人でも未来人でも超能力者でも異世界人でもなく、いちおう『人間』。ちょっとばかしその範疇から外れているかもしれないけれど。
人間であるのならば、生活とかを考えていかなければならないので、キョンが言うように「1年に1度しか仕事しないでどうして食ってけるんだ?」という疑問を抱いても可笑しくない。そして、それがそのまま自分自身にとってのサンタクロース否定論拠になり得る。
否定する論拠があるのだから、サンタクロースは否定でき"得"る。(「疑っていた」と言っていたキョンの言葉通り、それは絶対の否定ではなく、懐疑的な否定)
「宇宙人や未来人や幽霊や妖怪や超能力者や、悪の組織や、それらと戦うアニメ的特撮的漫画的ヒーロー達」に対しては、サンタクロースと同じ様な、自分自身に対する否定の実証が出来なかった。
そもそも、『いない』ということの証明は不可能に近い。悪魔の証明。地球の隅々から宇宙の果てまで、くまなく探しでもすれば「いない」と言えるかもしれないけど、そうでなければ、いる「かも」しれない。「宇宙人や未来人や幽霊や妖怪や超能力者や、悪の組織や、それらと戦うアニメ的特撮的漫画的ヒーロー」は、今まで『いる』と証明されたことは(多分ほぼ)ないけれど、同時に『いない』と証明されたこともない。
ならば"自分自身にどう実証するか"というのが最大の要点かなぁ、と思う。つーかそれしか無いんじゃないでしょうか。他人的にも世間的にも社会的にも存在も不在も実証されていないので、そこに判断を絶対的に仮託することは出来ない。取り敢えず、他人的にも世間的にも社会的にも『いない』ということになっているけど、それは絶対正しい判断ではない。なんせ証明されてない、実証できないんだから。それが絶対正しいなんて言えない。
キョンは、サンタクロースは周りの人がいないと言ってるから自分もいないと思った、のではなく、「最初からいないと思っていた」(遅くとも幼稚園の頃には)。これは周りの判断に仮託したのではなく、キョン自身の判断ですね。自分で自分に対し、『いない』と信じるに足り得る根拠を掴んだから。
基本的には判断を他人に仮託すること無く、流されることもなく、自分で下すタイプなのでしょう、キョンは。自分で自分を納得させないと、見極めることができないタイプ。

「いや本当は気付いていたのだが……ただ本当は気付きたくなかっただけなのだ」
「俺は心の底から、宇宙人や(中略)が目の前にふらりと出てきてくれることを望んでいたのだ」
「しかし、現実ってのは意外と厳しぃ!」
(中略)
「最大公約数的なことを考えるくらいまで、俺も成長したのさ」
自分の中では存在を否定するほどの材料が無いから、否定出来なかった。「いる・いない」に対して明確な答えは出せずにいたが、個人的には"いて欲しい"と思っていたのでしょう。だから、「心の底から」現れることを望んでいた。とはいえ、世間的には『いない』と考えるのが普通だったから、「気付きたくなかっただけ」という思考が入る。

その後。
結局は、自分を納得させる理由は見つからずとも、「最大公約数的な」部分に自身の気持ちを落ち着かせる。実証不能なものを固持せず、周りに流されてしまう(それでも、大抵の人よりは固持していたのでしょうが)。「現実ってのは意外と厳しぃ!」は、いつまで経っても実証されない現実の厳しさもあるけど、そういうこと――自分一人断固維持できない、周りに流されること――にもかかっているのでしょう。現実――周り、世間、社会、世界は、自分一人の考えを"流してしまう"だけの力がある。厳しさがある。

この辺が、ハルヒキョンに対する考えの肝の一つでもあるかなーと、ちょっと思う。
周りに流されるように現実の厳しさに飲み込まれたキョンと、周りに流されずたとえ一人ぼっちでも自分の考えを固持し続けたハルヒ
キョンハルヒの宇宙人対策の髪のことに気付いたり、普通に会話が弾める相手なのに。ハルヒからしてみれば、どちらかといえば自分と同類に近い人間に思えるのに、時たま、キョンハルヒの行動や思考を否定したりする。宇宙人とか探す探索を無駄扱いしたり、「いい男でも探せ」とか言ったり。(この辺はハルヒを最後まで見たら修正する予定)。
自分が固持しているものを否定される。かつて。自身が固持していたものを流されるまま汲み落とした男に。

キョンは言った。「最大公約数的なことを考える」ことを、『成長』と言った。
それは本当に『成長』? 最大公約数的なことを考えず、周りに合わせず流されず、断固自分を固持するハルヒは、まだまだキョンより成長していないということ?
そもそも。
ハルヒは何故固持する? 何のために。どうして。


……この先は、もっと先の放送を見てから、と言う事で(先のこと覚えてないし)。今回はフリだけ。風呂敷広げるだけw


でー、かなり話がずれたのですが、キョンは(自分自身に対して)実証不能なことは、流されるでもなく決め付けるでもなく、取り敢えず自分が思いたい方向に思うタイプ。"いる"か"いない"か分からない宇宙人(以下略)を「心の底から」いることを望んでいたり。違うとも言い切れず、そうだとも言い切れないことは、取り敢えず自分が思う方向に思っていく。
で、あるのなら。

「こうして俺達は出会ってしまった。しみじみ思う、偶然だと思いたい」
は、本音を言ってないだけかもしれないけど、結構マジで、偶然だと思いたがっているんじゃないかなー、と思う。
ハルヒキョンの出会いが偶然なのか必然なのか。これはハルヒの「願いが叶う」的能力を鑑みると、どちらとも言えないことです。ハルヒパワーで必然なのかもしれないし、はたまた、普通に偶然なのかもしれない。何にしろ、実証は不可能。

個人的には、実証不可能な勘に近いもの(現時点では論拠が前述の点くらいしかない)ですけどw、わりかしキョンは本気で「偶然」を願ってるんじゃないかなーと思うんです。この出会いは偶然であって欲しいと。
これはまあ、出会いたくなかった、ハルヒに気はない、みたいに捉えることも出来ますが。
ハルヒの能力の中に自身を(もしくは、自分とハルヒとの出会いを)組み込みたくない、ということもあるかもなぁ、と思う。
ここでのキョンの独白は「結果から言うと……」で分かるように未来からの視点になっていて、ハルヒの能力を独白キョンは知っている可能性が高い。知っているなら。偶然の反対「必然」が、ここでいう「必然」が、運命みたいな曖昧なものではなく、証明する手立てさえあれば証明できてしまうような確固としたものだということが分かっている。

それを分かっていて「偶然」と言ったのは、上に書いた内の前者、「せめて」偶然であって欲しいか、「ならば」偶然であって欲しいか、取り敢えず二通りが思い浮かぶのですけど。(両方併せたもの、という通りもあるか)

果たしてその答えはどちらなのかーというのを、これからの放送回を見て、多少なりとも探っていきたいと思います。なんか気になるんで。



ということで、……まだOPにも達してないのにこの長さ!なんだコレw
えー、まさか、2年前の作品の感想にこんなに時間がかかるとは(こんなに熱が入るとは)思わなかったんですけど、長くなったんでまた次回。一応全部書いたら、アッチにコピペして再利用するつもり(笑)
次回は来週くらいの予定。


以下、何書くか忘れないようにのメモ。


・「わたしはここにいる」:ハルヒの行動って、「わたしはここにいる」の連発じゃないかな、と思ったので。

・「SOS団」:や、SOSですよSOS。助けてーですよ、これ。誰に、誰が、何で、どうして、何を、一体、何故、「助けを求めているのか」。

キョンの主観でハルヒを視る、ハルヒの主観でキョンを視る:この項目は、精査が必要なんだけど、一応。離れたカメラ、寄るカメラの"使い分け方"も、妙に気にかかるような感じが。