「好きの反対は無関心」なのか問題

「好きの反対が無関心」というワードをたまに、というか結構、見かけるのですが。
「好きの反対が無関心」ということは、「無関心の反対は好き」なのだろうか。

だいたい「好き」と「関心」は、逆に置かれるような関係ではない、つまり同じステージに立てていない。そもそも「好き」は感情に依るものだけれど、「関心」は感情に依るものだけとは限らない。好きでも嫌いでもなくても、程度差こそあれ「関心」は持てる。つまり『感情』と『興味』ってのは別物だろう、反対側におけるものじゃないだとう、と思うのだ。それに「関心」自体も、「好き・嫌い」方面での感情によって選別される。関心はあるし好きだ、というのもあれば、関心はあるけど嫌いだ、というのもある。「無関心」でも好き・嫌いは存在できる(認識はしてますから)。例えば僕はコーヒーに関心がないし、缶コーヒーですら銘柄など殆ど分からないけれど、「コーヒー」自体はそこそこ好きである。いやそれはキミ関心があるんだよと言われたら、じゃあ関心って何よ?と問いたくなる。興味を持つことや気にかけることだろう。無認識なら好きも嫌いもないが、無関心なら好きも嫌いも抱くことができる。