リトバスとクラナドは逆なんじゃないかメモ(プレイ途中)

リトルバスターズ」、久々にプレイ中。鈴・神北・来々谷クリア後に放置してたけど、とりあえず再プレイ開始。また鈴から。
でー。こうやってプレイしてみると思うんですけど、クラナドってなんか殺伐としたリアリティがあるじゃないですか。お話も地に足付いてたり下世話だったり汚れたりする殺伐さがあるけど、何より朋也くんが望み・目標・目的を殆ど持たないもしくは不明瞭なままで、その上甘い空想や妄想が叶わないつうかそもそもしないという殺伐さ。主人公の朋也くん、あの人、真面目な・真剣な事柄に空想とか妄想を這わす事が無くて(その代理としてギャグ方面では空想妄想しまくりなんですけど)、未来とか将来に対しても"漠然とした"不安や期待は抱くけど、その漠然とした程度の、空想とも妄想とも程遠いくらいのものしか抱かないじゃないですか。もっとこう、詳細な妄想をしたり、家族空想とか抱いてもおかしくないのに、全然じゃないですか。
それに比べると理樹(リトバスの主人公)は、今のトコ、不安も期待も空想も妄想も結構入ってて、まあ一番は不安で、この状況の終わりこそを恐れまくってるのですが、
こういった、朋也の現実に対する姿勢と、理樹の現実に対する姿勢がかなり逆気味な感じで、んでもってリトバスってキャラクターも話も妙にリアリティが無いというか、外見からしていかにも漫画にいそう、ってキャラクターとか、野球をやろうとしてメンバー集めてホントにやっちゃってしかも勝っちゃうといういかにも漫画にありそうです、って展開とか、そういうCLANNADに比べてリアリティーがない……リアリティじゃなんか変だな、CLANNADに比べて地に足が付いてないとか、下世話な所がないとか、現実の汚れがないとか、そういう感じ。そういうのが、違うんすよ。
つまり、世界(舞台設定だけじゃなく物語含めて)に接する朋也と理樹が逆であるように、その主人公に接する世界自体もまた逆なんじゃないか、とか。とか。