句読点と順番

桜庭一樹砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」、を読みました。読了はしていないのですけど。8割方読んだ。

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない (富士見ミステリー文庫)

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない (富士見ミステリー文庫)

桜庭一樹さん初体験。どこのバケモノ畑からやってきたバケモノだ、と言わざるを得ないくらい圧倒的。

文体とか句読点の打ち方とかが、結構独特だと思うのですけど、それが「実弾」のアレ、乾いた感じ、諦観な感じに良く合っている。自分だったら全ての描写が倍以上の分量になってくどくなってしまいそう。書かない、というか、必要最小限にするからこそそこに生まれる空白を埋めるために読者が物語を自主的に紡いでくれる、んじゃないかなと(そういう可能性というか方向性でこういう見せ方があるのかと)勉強させられました。


今更ながらかもしんないけど気付いたことあるので、メモ。


(P134)
生まれながらの飼育者である……
(中略)
悲しみが襲いかかってきたので、振り払って、歩いた。
(中略)
あたしは、こんなふうに図太く生きられたらいいのに、と思いながら雑草を軽く踏んでみた。


句読点の打ち方が特徴的、みたいに書きましたけど、いや実際特徴的だと思うのですけど、感情と行動を表す文章があって、そこに句読点が介在する時、それは時間経過――順番を表しているのかな、と少し思った。
上記引用2行目、「振り払って、歩いた」ならば、振り払った"あとに"歩いた、というのが読み取れる(もちろん、完全に振り払ったあとなのかどうかは別で、時間的な順序の話)。これが「振り払って歩いた」ならば、歩きながら振り払っているような印象が、原文よりも強くなるんじゃないだろうか。
3行目の「……いいのに、と思いながら雑草を軽く踏んでみた」は、言葉どおりですが"思いながら雑草を踏んでいる"というように読み取れる。これが「思いながら、雑草を軽く踏んでみた」だと、前述の文章に比べて『思う』と『踏む』が同時(に近い)だとは感じ取れなくなる、『思う』『踏む』の行動の順序の序列が前述の文章よりも強くなっているように思える。


句点は読みやすい、読みにくいとかだけじゃなくて、こういう使い方もあるのかと思うと非常に面白い、つうか勉強になる。