表情について(1)

感情が表情に出るのって、すごく不思議なことなんじゃないかな?と思った。
だって感情ですよ。自分の中にだけあるもの。
それがイチイチ表情に出てしまうのです。自分の外に感情をアピールしてしまうのです。

発端から考えると、言葉による意思疎通が不十分だった・もしくは存在していなかった時代の、意思疎通方法のひとつ――というのがそもそもなんじゃないかなぁ。
ボディランゲージという意味では、今でもその機能を有しているのだけれど、よっぽど熱が入っている場合でもない限り、自分でその機能を簡単にコントロール出来る身振り手振りなどのボディランゲージに比べ、表情というのは非常に使いづらい。コントロールに莫大なストレスがかかる。

他者が自分の表情をどう捉えるか(自分が他者の表情をどう捉えるか)というのを、あくまで表面上、「作られた表情」というのを無視して、ちょっと大雑把に腑分けしてみると、
・怒り(憎しみ)
・悲しみ
・喜び
・笑い
・苦しみ
・困惑(困っている)
なんかが、大別的には表現されていると思う。
これは大雑把で、たとえば笑いには純粋に楽しいから笑うというのも嘲笑もあざけりもあったりするのだけれど、取り敢えず大雑把に。
そう見ると喜怒哀楽の全てに、「苦しみ」と「困惑」がプラスされているんじゃないかな、と思う。

「痛み」というのは、自分の体のどこが怪我なり病気なりで悪い状態ですよ、というのを伝えるための機能ですが。表情というのは、他人に対してそれを伝える機能でもあるのかな、とかちょっと思う。先に書いたように意思疎通の機能として。……や、違うな。だからこそ自律の難しさが意味付けできるのだが、それだけなら「喜楽」の表情を出す理由が……あー、つまり、「分かち合う為の機能」?
表情はつまり、他人に自分の感情を『教えるため』であり、その先にはそれを教えることによって「助けを求める」という意味があって(困惑とか苦しみとか。怒りも、怒りの原因を解消して欲しいという意味ではそうかも)、もうひとつ、表情による感情の伝達で他人を「助けられる」という意味もあるんじゃないでしょうか(喜びや楽しさを他人と分かち合う、という救い)。あー、なるほど、ものによっちゃ笑顔だけでも救われる。実際問題はともかく、「不安」程度のものならば、笑顔ひとつで助けられる。あなたの笑顔に救われた、なんて古今東西色んな創作物であったりなかったりだ。

そのうち(思いついたとき)もうちょっと詰める。