たった一つ掴むために 幾つでも失うんだ

・なんかしんないけど1週間前くらいから、「ONE PIECE」にはまってまして。1日1冊ペースで買って読んでます。

・で、アラバスタ編。一応ジャンプ本誌で「空島編」くらいまでは読んでまして(あと所どころ飛び飛びで読んでました)。結構忘れてるけど、大筋は覚えている感じ。

・やっぱ一番覚えているのは、最後の『手を挙げて印を見せる』のシーン。

・んで、なんでか「空島編」から単行本を買って読んじゃってるので、アラバスタは結構記憶があるし確かアニメ映画があったはずだから取り敢えずそれで済まそうかと思って。

・そんなわけで、映画の「アラバスタ編」の奴を見ました。


・激泣いた。

・これってかなり激しい総集編だと思う。はっきりいって、つうか完全に、未見の人置いてけぼり。

・出来事に対する因果の認識が、物語を(鑑賞した人間の中で)物語たらしめるのだけど、その『因果』が、これが初見という人には(たぶん)まったく分からないと思う。飛び飛びだから、「なんでこんなことになってるの?」が、かなり分からない。原作を一応知っている自分でも、作品の半分くらいまでは特に、分からず置いてかれてる感が強かった。

・それでも、出来事に対する各キャラクターの想いが十分に、いや十分とは言えないけれど、取り敢えず「分からなくても引っ張っていってくれる」くらいの熱が篭って描かれており、そのお陰で「なんでこんなことに」が分からなくても、キャラクター達が「なんでこうしているのか」がそれなりに分かるようになっている……というか、分からないことが多いのだけど、それを"全部棚上げして見れる"、確固とした軸を築いている。仲間の為に、と。途中からは、それまでに比べ飛ばし飛ばしになっていないというのもあるのだけど、そこまでに築き上げた、この作品内での『キャラクター』という認識が、強い力になっているのじゃないかなぁ。物語の軸が分からなくても、キャラクターの軸が分かればそれで引っ張っていけるなぁ、という感じ。

・「自己犠牲」ではあるのだけれど、ヒロイックなそれではなく、むしろ"それしかやり方を知らないから"で「自己犠牲」になっている感じ。これは見せ方が上手いな、と思う。……いや、見せ方だけの話じゃないのかな。

・飛ばし飛ばしの物語に対して、元々の物語を知っていると、上手〜く補完できて上手〜くいいトコ取り出来るな、と思う。いや、確か公開時にジャンプとかに載っていたのが上の絵だったと思うのですけど(あれはサントラです)、この絵からして、あれを(原作なり元のアニメなり)で知っていて、それに強い想いを持っている人がこの作品のメインターゲットかな、と思う。つまり、原作を知っていて、なおかつ『あの絵』のような、『想いの通じ合い』みたいなのにピンと来られる方がターゲット。ターゲットとかいうとなんか下世話でヤダなぁ。とにかく、アレが好きな人には持って来いの作品ですよ。そりゃツギハギだらけで飛ばしまくりですけど、そんなの関係なく泣くよ、っての。

・つまりは作品として軸がぶれてないんだな、多分。『想いが通じること』だな、きっと。
「自分の声が誰にも届かない」というビビに対して、「俺たちには届いている」というルフィ。いや、実際には、喋っている言葉以上のものを汲み取っている。想いまでも汲み取っている。やがてビビの言葉は、彼女たちの戦いの結実、争いを続けている人たちにも届く。そして最後の、全国に流れた放送。「この国が好きだ」という彼女の言葉が伝わり、そしてまた、これまでの彼女の旅路を知っているものには、そこに「その言葉以上の」想いを汲み取れる。そして最後。手の印の見せ合いで、喋ることも無く、言葉以上の『想い』を伝え合うことが出来る。しかも、それは全国放送の場での出来事なのに、「喋ってないから」、彼女とルフィたちだけの、仲間だけでの、完結。あーもう、喋る必要はないんですよ。全国民に伝える必要は無い。国民は、その多くは、「誰と喋ってたんだ」というように、ルフィたちがクロコダイルを倒した、この国を救った陰の立役者だ、ビビを救った英雄だ、ということを、知る必要が無い。彼らにビビが救われたとか喋る必要は無い。いやだって、国民にとっては、そんなことマジで知る必要無いですもの。別に知ったところで「そうかぁ〜」となるだけ。あがめたり感謝したりするだけ。そしてビビにとっても、そんなこと喋る必要は無い。だって誰かに伝えなくたって、彼女たちが「仲間だ」ってことは、こうやって「喋らずとも想いが通じ合える」ほどに、絶対だもの。誰かに喋らなくても、誰も知らなくても、絶対に自分の中で生き続けるから、そんなことする必要は、無いんです。それよりも、自分を必要としている人の為に、前を向かなくちゃ、と。

・えー、要するに超泣いたよかったよでも原作知らんとアレかもね、という話です。