クラナド3話(だいいちいんしょー)

風子かわいい!渚かわいい! 以上おわり。

導入部を過ぎ、なかなかしっかりしてきました。1話2話の詰め込み具合に見られた「イベント消化」って感じが薄くなってきましたね。風子・杏・智代と会うのが、シチュエーションも含めてある意味パターン化してきているのが、かえって良い。イベント消化、さらにその先の作為性を、パターン化することによって脱却している気がする。

更に言うと、この『パターン化』は、これらが『日常である』――彼女たちとこの形で会うのは普通のことである――という意味付けも担っていて、さらにその形が変化した先では、彼女たちと会うということそのものが日常(の一部)と化し、
それによって、まあたとえば春原とのどうでもいい系の会話もそうなんですけど、
(ちょいバレ反転)(先生は見ない方がいいです)これが日常的で無くなる未来から(日常的に会えなくことが確定しているのですけど)逆算した場合の、その日常――正確にはこの時間の、学校に通っているこの時間の唯一性を表しているものになると思う。つまるところ、こんなにパターン化されているものでも、こんなにしょっちゅう会う人でも、こんなに気兼ねなく話せる相手でも、環境や状況の変化から、会えなくなってしまう、話せなくなってしまう。変化があって、楽しいことや嬉しいことは、どんどんと失われてしまうということ。それを表す効果があると思う(あると思うというか、あるかも)。
上記とは反対に、おっさん・早苗さんが時を経ても変わらないのは、「変わっていく・失われていくものだけではない」ということを表してもいるんじゃないでしょか


しっかしまあ、話変わって、ホント絵と動きの可愛さは異常だな、と思えるくらい。すげえ。あと実は、動きが激しいシーンや一瞬のカットを除いて、落ち着いたシーンで、朋也の左側に立った人はいません(多分。あとでしっかり調べるけど)。ここは結構、注目ポイントだと思いますよ。心情が左顔面には表れてしまい、心臓がある左側に、はたして誰がいつ立てるのか。
とか思い違いしてたことが、3話をもう一回見たら判明。なんてこったい。