うがぁーー。

『書く内容』は決まっているのですが、『文章が書けない』。
"文章書く脳"がまったく機能してないですよ。うわーーん。箇条書きとかなら速攻でいけるのですけど。
あーもう。昔の俺はよくやったよ。書けないと煮詰まっているのを何とかやりくりして、何とか乗り越えて書いてたもん。今思うと、結構頑張ってた。当時は(その姿勢が)自然だったんだけど。うん。なんとかせにゃ。ガイアよ、俺に良い文章が書けるように囁いてくれ!(無茶振り)


でー。クラナド12話の藤林杏を見てると、やけにハルヒを思い出してしまって、今日は手持ち無沙汰な時間(電車乗ってる間とか)に、その辺のこと考えてた。
キョンハルヒが望んだから現われた人物ではないのではないか』
ということを。
細かいところとか思考過程とか飛ばして結論から言うと。
最終回のアレを見ても分かるように、キョンハルヒを認めたというか受け入れた、と"ハルヒは思っている"のですよ。この自分を認め、受け入れてくれていると。子供の頃野球場に行って、自分が何処にでもいるちっぽけな存在であるということが明らかになった彼女のことを、"何処にでもいるちっぽけな存在では『ない』"として認め受け入れた人がいる、それがキョンだと。
でもそれはハルヒが望んだことなのかーというと、違うんじゃないかなー、と思う。
あそこから始まる願望は、誰か一人の特別を望むベクトルではなく、皆に対する……いや、これはちょっと違うかな。皆からじゃなくて(もしくはそれを踏まえた上で)、『自分が自分を特別と思うこと』というベクトルの願望じゃないかな、と思った。
誰か一人が自分の事を"何処にでもいるちっぽけな存在では『ない』"と認め受け入れるのではなく、自分が自分のことを"何処にでもいるちっぽけな存在では『ない』"と認め受け入れること。それが望みのベクトルではないかと。
そして、その実現として、宇宙人や未来人や超能力者や異世界人といった、"特別"なモノとコンタクトを取ることにより、自分自身も特別になる――自分がそこに"特別"という価値を見い出すのではないのかな、と(この辺は少し精査が必要)。
なんにしろ、自分を認めてくれる誰かを望んではいなかったんじゃないかなー、と思うんですよ。大体、そんな望みだったら中学時代に叶えてろっつー話で。あー、古泉とか長門とかみくるちゃん(なぜかちゃんを付けてしまうw)が『今になって』登場してきたのは、「高校に入ればなんかいるかも(あるかも)」的な願望をハルヒが軽く口に出していたことから察するに、願望の実現の方向転換が図られたのかな、と少し思う。つまり、中学までは『いる確率が低いと自認しながらも探す』という方向が、高校では、そこに抱いていた期待から『いる確率が多少はあると思いながら探す』へと変化したんじゃないかなぁと。だから見つかった。いる(というか、出会える)と思って探しているから。
で、キョン
キョン異世界人ならともかく、普通の人間だとして。
彼の事は、別に探してはいません。つうか望んでも欲してもいません。自分の事を"何処にでもいるちっぽけな存在では『ない』"と思ってくれる人なんか望んでいなくて、ハルヒが望んでいたのは、自分自身が自分自身のことを"何処にでもいるちっぽけな存在では『ない』"と思える何か、だったからです。
……まあ上記ふたつ、字面だけならどっちも同じというか、似た感じなんですけど、一つ目の方にはワンステップ入るのですよ。ハルヒ自身の感情。誰かが自分を認めてくれることから、自分自身を認める、という感情が生まれる。
誰かが自分を特別に思ってくれることが、自分で自分を特別に思えることになる、だなんて、ハルヒは恐らく想定していなかったと思うんです。あー、もちろん相手がキョンであることも重要で、ハルヒキョンのことを『同類』に近いように思っているんじゃないかなー、と思うんです。この辺は今度、時間でもあったら何とかかんとかします。
想定していなかったんだから、望むべくもないかな、と。
望んでいなかったものを手に入れたのに、それが望みを叶えることになる。思っていたのとは違う形だけど、十分、自分にとって心地よい形で。そういうことはよくあることじゃないかな、と思います。


あーしかし、ここは楽だ。(すっぴーさん以外)誰も見てないと思って手なりで書いてるから、5・6分で書けたし。でもやっぱ文章ぐっちゃりんこだよなぁ。酷いもんですわ。