京アニクラナドについてのメモ

QOM (=急に思いついたのでメモ)。


過去があって今がある。過去は今に内包されている。なのだけど。もう一つ上位の階層に立てば、それは過去と今が別々のものとして分断された上で過去が今に内包されているのではなく、同じ、ひとつのものとして、『それ』が形成されていると見れる。
あ、なんか意味わかんねぇ。さっきまで感覚で何となく分かってたのに、言葉にしようとしたら途端見えなくなってきた。QIW(=急に意味がわかんなくなった)状態だ。


まあそんなわけで『クラナド』の内包話。もう過去を内包している今が、それを過ぎ去った未来が今に変わった時点から見れば、最初に書いた今も、後に書いた今から見れば、内包されている過去であって、……えーとつまり、、つまり、何だろ。過去も今も下手すりゃ未来まで、ひとつの同じものじゃん、とか……いや、こんなことが言いたいんじゃないんだけど。Q(以下略

「滅びに向かって進んでいるのに…?」
いや、だからこそなんだよ。
それを、知っていたからぼくはこんなにも悲しいんだよ。
滅びに向かうからこそ、すべてはかけがえのない瞬間だってことを。
Keyのメインスタッフが手がけた『ONE〜輝く季節へ〜』より。
終わるからこその、今の大切さ。
しかし。
『今』というのは、この瞬間には今この瞬間が『今』だけど、次の瞬間には次のその瞬間が今になる。一瞬前には、その一瞬前が『今』だった。今の繰り返し。はじまってから、終わるまで、永遠と続く『今』。その全てが、かけがえのないものだという。
『今』。過去が内包されている『今』。過去は、その時々の『今』の積み重ねによって出来ている。じゃあ全ては、全てが、かけがえのない今の積み重ねで出来ているのか。か?かけがえのないものが内包されている『今』も『未来』も、かけがえがないのか。か?
『ONE』から長いときを経て、『CLANNAD』へ。今を今という瞬間瞬間の積み重ねとして一つの線として見る、その意識が明確になっている気がする。いや、気がしたいだけかも。


ぬぬ。終わります。
QKW(=急に書くこと忘れたので)。