崩壊する消費スタイルの断末魔

※追記:「体系」って書いた部分が俺用語すぎる気がしたので「スタイル」に置き換えました。


僕は先週のアニメ「CLANNAD AFTER STORY」に出てきた、志摩って男の子が女装した姿が凄い可愛くて好きになっちゃって、そのことを先日自己分析(http://d.hatena.ne.jp/LoneStarSaloon/20081111/1226407895)しました。僕が女装志摩くんをどういう風に消費しているかは、おおよそそのエントリーの内容どおりだと思うので、詳しくはそちらを見ていただいて。
僕は、先に記したような消費の仕方なので、例えばですね、もし女装志摩くんがセックスするようなことがあればブチギレなんですよ。性的なものを除外している(上で女の子に接する)みたいな消費なので。あんだけ志摩くん好きだ好きだ言ってますけど、しかしそれは、悲しいことに、その消費スタイルに則った上でのお話であって、そこから大きく外れるようなことがあれば、一気に大嫌い以上に落ち込む。勝手に好きになって勝手に消費しているくせに、それが覆されると、勝手に敵対してしまうでしょう。――多分その理由は、その消費に様々なものを仮託・投射しているという依存があるからだと思います。今まで依存していたものにこれから先依存できないと、急にそのようになってしまえば、その依存していた対象を貶めて現在の(依存できなくなった)自分を肯定しようとする(「依存していた対象」は「消費行動」なのですが、ただし消費行動に明確な実体は無く自分もそこに組み込まれている(それを貶めれば自身も傷つく)から、「消費対象」に矛先が向かいやすい)。そういう動きは、まあ誠に身勝手な振る舞いですが、あってもおかしくないでしょう。てゆうか、志摩くんがそうなっちゃたら僕はきっとそうする。


■萌えの功罪
http://d.hatena.ne.jp/hachimasa/20081112/1226481425


先の文章は、この記事を拝見させていただき思い至ったものです。
かんなぎ」の非処女騒動も、こういった面があるのかもしれない……いや、そうでないにしても、この原理で語れる部分が多そうだなぁ(真偽は分かりませんが)とかふと思いましたのでここに記します。


「好み」「性癖」「萌え要素」といったものが『非処女』で崩れた、という問題ではなく……というか、そこを一歩踏み込んで、消費者がその対象を消費するにあたり築いていた消費スタイルが崩れた、というのが今回の問題だったのではないかと思う……いや、というか、今回のがそれにあたるか分かりませんが、少なくとも、自身の消費スタイルが崩れると今回のようなことが起こる、と思うのです。


その話に今回の件を当てはめると、『処女厨』などと言うとまるで二次元三次元問わず非処女を低評価している、あるいは、ゲームやアニメなどに出てくる非処女はすべて低評価している、みたく捉えられますが、今回の件、本当は、「『かんなぎ』のナギが処女じゃない(なくなった)」ところが問題なんじゃないでしょうか。
つまり、今回の『処女厨』と目される方のナギへの消費スタイルにですね、ナギが「処女であること」が組み込まれていたのかもしれない、とか思います(じゃなきゃ、他作品でも、もっと物語という文脈無視して処女でないことを糾弾する声が上がってもおかしくない、あるいは、今回の件において、もっと物語という文脈を考慮して処女でないことを糾弾する声が上がってもおかしくない)。
ナギが処女であることに纏わる何かやそれを纏ったナギと作中の何かとの関係に、消費者が何かを仮託したり投射した結果、快楽や救済・承認などの効果が生まれ、それが繰り返されるうち消費者はその消費に無意識の依存をしてしまっており、それが崩れたことにより、崩された後の自己を肯定するためにもこのような反応になったのではないでしょうか。

いえ、実際にどうかは分かりませんが、しかし、自身の消費スタイルが崩壊したら、その断末魔かのように、このような反応(かんなぎ騒動のようなこと)が起きてもおかしくはないでしょう。とか、まあ、ひとつの仮説といたしまして。