ビジュアルノベルゲーム批評・分析はテキスト面ばかりで、だからこそそこに足りないものはシステム・映像・音楽に対する批評・分析だろうから誰かやりなよと僕は常に思っている。自分にやれる能力はないと僕は常に思っているから他人がやりなよと僕は常に思っている。
ひとまず、映像・音楽に対する点を考えていきたいので、ここではビジュアルノベル系のゲームだけを考えよう。シミュレーションやRPGやアクションだと複雑すぎるので、とりあえず敬遠。ひとまずVNについて考えて、それを敷衍するような感じで何かこうアレコレしちゃえばなんとまあという素晴らしい結末が待ち受けているのかもしれない。
映像とテキストとの関係は以前考えた。ある「絵」に(同一次元で)書かれた「文字」は、その絵の意味を規律しうる。いわゆる投錨ですが、当初はそれで考えていた……のですが、どうもまんま援用しちゃうのはやっぱおかしいなとか思った。むしろその観点で言うなら逆、というか相互であり、絵の意味をテキストが規律してテキストの意味を絵が規律しているのではないだろうか。
勿論それだけではなく、ここには音声と音楽(、さらにシステム)も介在する。(「システム」に関しては、一概にこれらと同様の扱いをするのが少し憚れる。上位の階層か、あるいは別次元か(例えば映画において「劇場(映画館)」がフィルムとは別次元の存在であるように)。あるいはそんなことはなかったぜ!なのかもしれない。取り敢えずここは大いに保留していきたい)
音声や音楽も、絵やテキストの意味に、というか、これら4要素……つうかSEもですね、それら含めて5要素――それとシステム――が、互いに何らかの作用を行い、結果作品が生まれ、物語が生まれ、物語を読み解く文脈も生まれる。
取り敢えずは個別に見て、外堀から埋めていきましょうや。
映像とテキスト。漫画の1コマ内に描かれるキャラクターと彼が発する言葉のふきだし、その関係に近いといえば近いのかもしれない。とも考えたのですが、どうもそれだけ違和感が大きい。普通の立ち絵には、漫画ほどの表現力も無ければパターン数も無い。漫画の絵は細部も含めれば無限の表現が可能ですが、ビジュアルノベルの立ち絵は現時点では1キャラクターにつき数十パターン、少ないものでは数パターンしか存在しない。
これだけ少ないと、「絵に文脈が付加される」ような現象も起きるのではないかと考えられる。……ん、違うか。というか、連続性の担保としてすげー機能してるとかか。超困難な状況になっても超平穏な状況と同じ絵であるということは、その二つの連続性を視覚に対し直截的に結び付けてる、とか。よく分からない。あるいは対して重要でもないかもしれない。
音楽の方は、「音楽に文脈が付加される」というのは多分そう。二日前に書いた記事(http://d.hatena.ne.jp/LoneStarSaloon/20081116/1226771193)然りで。音楽で、そのシーンはシリアスや泣きという正しい読み方に誘導し、結果その音楽が誘発できる文脈は強固になるし、そのシーン自体(そこで培われた文脈)も、作品全体の文脈に吸収されていく。


メモ終わり。メモつづくかも。