CLAアフ9話感想の余談

一個前の記事の余談。どうにも分からなかったので。

空間の豊饒性と時間の豊饒性

や、あのですね、渚が倒れるまではカメラの位置がどんどん動いて、それにより、そこの空間に豊饒な密度が生まれていたのですが、渚が倒れるとそれが活発でなくなり、Bパートなんかはかなり希薄になり、そして卒業して坂を下る時になりまた改めて豊饒さが舞い戻り、さらに過去の回想で時間的な豊饒さも確立され、そして渚と古河パンの前で会った時には立体的な空間を思わせる豊饒さは、最初の方のそれと同質のそれを取り戻していて、(でも”古河パン側からのアングル”だけが無くて、それは想定線とかから当然といえば当然なんだけど、一箇所だけ「不可侵領域」を作り受け手の介在性を否定するのは、京アニクラナドらしい(と僕が勝手に思っている)突き放し・喪失にあたるのではないかー、とか)、なんというか、そういうところまで、渚を中心に描かれるのか、という点で、感心したというか何というか、正直なところよく分かんないというか、「特徴」は見えたけど「意味」が見えないからこうして余談にしてみました、みたいな話です。おしまし。