CLANNAD AFTER STORY 第11話のだいいちいんしょう

CLANNADすごすぎる……。もう、今死んでも何の悔いも残らないくらい満たされた幸せな視聴体験なんですけど。どんだけ。
素直な話、これはもう開始2分くらいで、「渚欲しい」とか思ってしまったのですがw まあどうしてこう思うかというと、朋也くんが渚を必要としていて、それが”どうして”だかがもう全力の十全で画面から伝わってきてしまうからですね。渚が居るから頑張れる、楽しい、つまり彼も言ってたように「支え」になっている。
これは逆も――渚が朋也を必要としている、支えとしている、ということも、画面から伝わってきます。学校ではぼっちで、しかも朋也くんの家以外では全然喋らない(その上敢えて自宅(古河家)での渚描写は避けている(家に居る時間自体が少ない/描くことないというのもありますけど))で、その逆に、朋也くんと居る時は超喋るし超明るいし。その二つの頂点から、自然と(そこで対立関係となっている)主題が浮かび上がってきます。創立者祭の約束をめっちゃはしゃいでいるのも、そう。そういえば、創立者祭行けないかもーって朋也くんが言った時の渚の「反応の欠如」を描く部分はシビれましたねー。「ある」はずの反応(変化)が「ない」ということで、「ない」を描写することで物語らせていました。
ということで、渚の立場だったら、「朋也くん欲しい」ってなるでしょう、きっと。
で、なんかそういうのが、他の誰かにも言い当て嵌まってるなぁというか上手い具合収まってるなぁとか思うんですよね。例えば、朋也くんにとっては芳野さんが「必要」であるのは(芳野さんじゃない人だったら困る/困ってた)とか、例えば磯貝さんとかの古河パンご近所さんにとっておっさんと早苗さんの賑やかさが「必要」だとか――誰かにとって他の誰かが何らかの意味で必要だ、みたいなのが何となく感じられる。やけに情緒的すぎるけど、いやもうこんな見た直後じゃ当てられるっすよ。
その「何となく」の中身は上手いこと他者を映すところにもあるのかもなあとかおぼろげに思っていたり。
例えば右肩上がらないハンデを許容してくれた芳野さんに対し朋也くんが涙を流す場面で画面に映るのは主に芳野さんとか。他にも色々。一回しか見てないからわかんない(アンド後で言うこと変わるかも)んだけど、かなり気になります。

で、その「必要」の円環は、今話においては、ラストの「正式な名札」で閉じるわけです。原作であそこは「今日ようやく(この会社の)一員になれた・仲間になれた気がした」みたいなモノローグが入っていたのですが、それを名札の手書き→印刷、つまり仮→正式で表現してたわけです。これは「必要」というのは自然発生的ではなく、ある種の(自覚された・明示された/されていないに関わらず)「手続き」を通す必要があることにも繋がるんじゃないでしょうか。あるいは必要はそうなるだけの「動機」を欲している(ああ、秋生・早苗さんとランニングして「絆が深まりました」ってのもある意味そうか)。CLANNADにおいては少なくともそうで、だからそれを語るときは決して「博愛」にならずにどちらかといえば「親密圏」になるんじゃないかなぁとかまあなんとか。

しかし今週はいつにも増してわけわかんない&とりとめのない第一印象ですが、いやもうマジこれヤバイっすよ正直。これだけヤバければ、それだけ僕も当てられますよ。そしてこれがまだ第11話で、まだ半分未満(多分)で、この後あれがあってあれもあるしそれもこれもあるんですよ。本当僕はこれを最終回まで耐えられるのかしら、現時点でもこんなに満たされるのに、これ以上満たされたら確実にそれは過多で僕の器を溢れ出してどうにかなってしまうんじゃないか、そんなことを思わせるほどのパネェ第11話でございました。