CLANNAD AFTER STORY 第14話 だいいちいんしょー


信じられるかい? これでもまだ14話なんだぜ? 何話で終わるのかわからないけれど……あと10話前後は確実に残ってるんだぜ? 原作未経験者はこう思うのではないかい――あと10回もあるけど、はたして何を描くんだ? 原作経験者はこう思うんじゃないかい――なんでまだ10回も残ってるんだよ! ああ、恐ろしい、恐ろしい。毎週毎週、ぐさりぐさりと心身を抉る、この鋭すぎる作品が、さらに鋭さを増しながら、あと10週間もわたしたちの心身を抉り続けるのですよ?
街が変わっていくことに対する朋也の焦燥。これはもちろん、原作ゲームにもあったことなのですが、しかし同時に、原作でも(恐らくアニメでも)、それが”なぜなのか”が、明確には、明らかになっていませんでした。朋也を取り巻く物語構造上の立場的に、あるいは”アレ”を本能的に察知して、などなど、色々な理由は考えられることでもありました、けれども。
今回のアニメを見て私は思ったのです。この想いは、フィクションに接する私たちの想いでもあるのだなぁと。ここでいう「変わる」というのは、木が林になる、林が森になる、という意味ではなく、木が切り倒されてそこに電柱が建つ、林が伐採されそこにファミレスが開く、といった意味、つまり、「何かを失って」、のちに「まったく別のものが」そこに出来上がるということ。
はじまりあるものはすべからく終わる。何もかもが変わるというのは、何もかもが喪われていくということ。何もかもが喪われていくけど、それでも、好きでいられますか? そこで「見つければいいだけだろ」と言えますか? ――変わっていく、失われていく、喪われていく。例えば、今までさんざん描かれてきたあの場所、あのシチュエーションは、もう二度と、現れることはない。例えば、あのキャラクターは、恐らくもう二度と、登場することはない。フィクションの世界は(も)、進めば進むほど、変わっていく。それは、もう、変わる前のモノは失われているのだという意味での、変化。変わる前のモノには二度と手が届かないし、変わる前の状態には二度と戻れない。それでも、好きでいつづけられますか? あなた(視聴者/プレイヤー)ひとりを取り残し勝手に変わっていくこの世界を――あるいは、あなたひとりを勝手に喪わせて進んでいくこの世界を。


それはともかく、思ったのは、以前から何度か書いてるけど、やっぱり、視聴者を「見る者」という視座に、上手い具合に分離しているなぁということ。完全に同一的というわけではなく、かといって全然同一的ではない、ということでもない、非常に微妙な距離。朋也を自分のことのように思いながら他人のことのように思える、そんな距離。Aパートだったかな、仕事帰りの朋也が土手を歩いていて渚を見つけて声をかける(「だんご」のピアノインスト(「渚」)が流れたあたり)、ああいう部分の積み重ねがこういう効果をもたらしているのかなと思う。そこまでは、普通のアニメのように、画面のキャラが喋って、それが聞こえて、画面のキャラが見て、それを見れて(あるいは想定できて)だったのに、”ここだけ急に”、声と映像の時間軸がずれるのですよね。いつ、どこで会話した声なのか――あるいは本当にこの内容を会話したのか――定かでないものになって、映像も、飛び石のように、拾い上げるものになっていく。視聴者は、「一方的」に、「時間」が不明なものを、「見る」立場に置かされたのです。
この土手のとこで「渚」がかかって声が聞こえなくなってカメラもめっちゃ引いた段階、なんかねー、僕はね、彼ら(つか京アニ)から「お前邪魔」って言われてるような気になりましたw 渚と朋也のエッチも、ほとんど予兆くらいで、視聴者にその正鵠を掴ませないようにしていたり(いつしたのか、なんて分からないでしょう?)――というか、夜の寝室で多用された「上から見下ろすアングル」とか、それは妊娠報告のときもそうなんですけどね、視聴者と朋也くんの間に微妙な距離を置いている。


なんかそんな感じです。どんな感じなんだか自分でもよくわからないけど、そんな感じw あー、まだまだ10週くらいあるんだよなぁ、本当辛いなぁ(喜びつつも)。