アニメ「とらドラ!」第3話の感想

み、み、み、みのりーーーん!!!(挨拶)
いやみのりんですよみのりん! やはり我われはみのりんの切実なる魅力を肝に銘じるように知らなければならないのですよ、って僕も分からんけどネ!
それでも敢えて続けよう。やはりみのりんですよみのりん。くしえださんちのみのりんちゃん。この子の驚異的なところはその「絵」の段階で既に現われています。
たとえばですね、第2話の最初の方、竜児はみのりんに話しかけたいということを分かりながらもブッチする大河という時の、絵。

ここをキャプするとかやってることメチャクチャじゃねーか、って感じなんですか、そこは何とか大目に見ていただけるとありがたいっす。これね、一見「目で語る」的でありますよね。この無言の大河を見て、竜児は「なるほど……櫛枝と上手くいきたければ、まずは逢坂と北村を……上等じゃねえか」と理解するわけです。ここの大河の、取引を持ちかけるような挑発的な態度を見て。これは「目で語る」的でありますけど、実際は目で語ってるんじゃなくて態度で語ってるんですね。たとえば、髪の流れ、首の傾き、顔の動き、表情の微妙な変化、そういう全てで語っている。とても一枚のキャプ画像で語れるようなものではない「絵」で、語っている。だからえーと、この画像はあくまで参考みたいな感じで。
……うーん、この場面は例として適切じゃなかったかもしれません。もうちょっと後半の、怒りとか泣き系の表情の方が、より分かりやすいかも。まあいっか。
アニメ「とらドラ!」の、表情というのは、このような「一枚の画像ではとても語れない」ようなものが多いのです。もうちょっと細かく言うとですね、たとえば、「泣き顔」があるとするじゃないですか。普通は、通常の表情から、その「泣き顔」へと移るわけです。でもとらドラ!の場合は、その「泣き顔」というのが、「泣き顔」の一言では回収しきれないような動きに満ち過ぎている。なんかね、動きすぎなんですよ。「泣き笑い」でも「怒り泣き」でも「悔し泣き」でも、「ちょっと泣き笑い」でも「ちょっと怒り泣き」でも「ちょっと悔し泣き」でも、「すげー泣き笑い」でも「すげー怒り泣き」でも「すげー悔し泣き」でも、回収できない。そういう細かい表情が、非常に多い。その瞬間にしかない表情、というべきですかね。他の作品を引き合いに出すのはあんまり好きじゃないんですが、CLANNADの渚の笑顔だったら、そりゃ何パターンもありますけど、その中では結構統一されてて、たとえば第○話のあの時の笑顔は、第○○話のあの時の笑顔と表情レベルでは殆ど一緒で、そういう意味では交換可能である、その笑顔がその笑顔足りえてるのは絵ではなく話というコンテクストからだ、という感じが結構あったりするんですが、とらドラ!ですと、いやとらドラ!でも勿論そういうの結構あるんですが、それだけじゃなくて、なんかもう”この瞬間にしか”ないような、そういう、何ともいえない表情を、結構見せてくる。
それが、なんというか……一言や二言、あるいは一枚の絵や二枚の絵ではとても還元できないものにより、作り出されている。その動きによって。昔えらい人(ドゥルちん)が、アニメの絵はある形態(言うなればポーズ)に向かう/あるいはそこから崩れていく、その運動の連続性を提示する、みたいなことを言ってて。極端な話だけどパラパラ漫画とか思い出すとその感じが分かるかもですね。AからBへと向かう連続性を、提示している。
しかしとらドラ!における表情は、その連続性こそを延々と紡ぎ続けているようなものが結構あって。Bという地点にいつまでも辿り着かないで、気付いたらその連続性そのものがBという地点を担っていた。ひとつの「泣き顔」だの「笑い泣き」だのという言葉、その単位ではとても分割できないような連続的な表情、動きが続く……あるいは細かすぎて、もしくは組み合わせすぎて、分割できない。そういうのが、結構あるんです。ここの大河の動きも、分割できない感じ……つうかこの第2話のはあんま良い例じゃないっぽいので、後でまた言及するわ。
で。
みのりんの表情というのは、ここまでの時点では、非常に、薄いです。


それこそ基本的には、この「普通の顔」と「笑顔」の2種類だけで、あとちょっと違うのがたまにある、みたいなね。しかもその違うのは、不意に出た顔というより、作られている顔。一言二言、あるいは一枚二枚の絵で回収不可能な表情ではなく、回収可能性の高い、記号のような表情。
この差。大河なんかと比べた場合に生じるこの差こそが、みのりんを表してもいるでしょう。つまり彼女の顔は、作ってる顔だと。
でー。綺麗さっぱり作りきっているかというと、そんなこと無くて。今回の「もしかして、ホントにびびってる?」のとこの、震えていたみのりん。あるいは第2話、ジャンピング土下座のとき、こっそりと震えていたみのりん。それが示すように、その表情や行動の裏には、びびりがある、怯えがある。隠し切れないそれが、「震え」として――震えとして”だけ”、こっそり、表に顔を出している。
これ。どーすか、みのりん。これ超可愛くないすか? キラキラな櫛枝がキラキラと輝いて驚異のカップリング現象が起こってないすか?
その怯えを、びびりを、必死に手懐けようとしている。

「だって、びびっても無駄じゃん。だから、弱気はかっ飛ばす!」

そう、本当はびびってる。本当はびびってる。でも、それを隠す。消し飛ばす。かっ飛ばす。かっ飛ばそうとする。でも、それって、ムリですよね。それを完遂するのは、ムリですよね。いくら頑張ろうが意地はろうが、びびってるもんはびびってるんだから、それを意地とか根性で薄くしたり、なるたけ忘れたりはできるだろうけど、ゼロにするのは難しい、いや、それを「無かった事」にするのは、ちょっと無茶じゃないですかね。びびった、という事実は、どうしても残る。どうしても中に残るじゃないですか。「面の皮」には少しも現われなくても。
その中に残ってるものが、ちょこちょこっとした、「震え」に現われているんです。
この幽かな、内面の発露。どんだけ強がってるんですか、この子は!どんだけ意地で頑張ってるんですか、この子は! だからねー、もうみのりん最高なんですよー。やっべえよこの子、超可愛いよ。
ということで、みのりん理解度、20%くらいまでには達したでしょうか。いや適当な脳内計測なんですけど。うーん、真面目に考えると5%くらいなんじゃないか、コレ。最後までには、70%くらいまで達したいですね。目標。とらドラ!感想、もといみのりん感想の目標。じゃあそんな感じで、また次回〜。