東のエデン 第1話メモ

面白かったです。と前置きして軽くメモしておきたい。
まずはじめに、携帯電話の写真から、「彼」を探り出す――辿り着く。それはすぐポンと呼び出せるものではなくて、何プッシュか必要で、けれどプッシュの先に絶対に辿り着けるものであった。「その秘密を、私はまだ知らない」けれど、辿り着ける。
タクシーにより世界の中心に辿り着いたそこは、想像が美化されたものだったと認識させられるようなものであって、さらに柵で閉ざされ拒絶的だし、目的の泉には届かないつまり祈りにすら届かないし、しかも私を守るのではなく私を捕らえる警官が配備されている(つまり、警官は世界の中心を守るものであり、その警官に守られる対象ではなくむしろ逆である私はイコールで世界の中心の外部である)、そんでもって周りは翻訳されない外国語が飛び交う。開始早々に思わされるのは、まったくもってこの子(森美咲)がここにおいては、外から来た人間であり、また外の人間である、ということ。そんで警察に捕まりそうになるんですが、そこに現われて自分を助けてくれたのが裸の男! 素っ裸! しかも言葉は通じます。見た目も日本人っぽいです。つまり、美咲と同じ側っぽい。しかも、いやしかし、裸、全てをさらけ出している!
全てをさらけ出すとは全てを見せる(ここでは肉体的に、だけど)ってことであり、それはコミュニケーションにおいて、あるいは人間において、一見推奨されるような向きもあるのだろうけど、極度のさらけ出しはこのように異常で異質であるってことではないですかね。「全てを見せる」、とか、まるで良いことのように語られるけど、本当にそれをしてしまったら逆に排斥されうる。肉体的にではなく心的な部分でも、それは言えるのではないでしょうか。本当に全てを見せたら、逆に、引くでしょ。あるいはそこで、判断できない。それこそ後半部、婦警さんがちんこで本人確認をミスったところ――最奥の、最も隠されてる部分での確認に誤り、そしてそれが最も奥だったからこそ、そこが同定されないというだけで放免された――が示唆的でしょう。
んとね、つまり「外部・内部」あるいは「他者性」、そういうところを何となく考えてしまう。いやそれが中心だとかテーマだとか、そんなアホみたいなことは言わないですけど。64年組と言ったときの森美咲の喜び具合とか。あるいはテロ。人と人とは分かり合えるとか、人間話せば分かるとか、人類皆兄弟とかいうけれど、本当にそうなのか。むしろそれを裏返すだけで簡単に生じる徹底した排除の方式――人と人とは分かり合える、人間話せば分かる、人類皆兄弟、ということは、分かり合えない奴は人じゃないし、話して分からない奴は人間じゃないし、兄弟じゃない奴は人類じゃない――それが浮かび上がる。仲間じゃないから、こちら側じゃないから、いくらでも排除して構わない。そのお題目に反していないから。排除しても、崇高なお題目は保たれたままである。「全てを見せる」ことが異常で異質であり、また全てを見せても誤認されるのなら、一体どうすれば外部と内部の垣根は消えるのか。仲間と仲間外の垣根はどこにあるのか。
素っ裸の滝沢くんは、銃と電話を持っていた、というのもなんか匂わせますね。銃と電話。それは最強のコミュニケーションツール。素っ裸で何も隠さない(記憶喪失という点では、過去も隠していない)彼は、物理的身体的な干渉装置と、空間的情報的な干渉装置だけを持っている。あと言葉。滝沢くんの言葉は日本語として画面から流れているけど、それが外人の人にも通じてるみたいです。彼に限り日本語でも通じる?むしろ、日本語として画面から流れるけど、彼の喋ってる言葉は、言語はともかく、「通じるなにか」である?
あー、あと、えっと、婦警さんがアパートに来たとき、森さんの赤いコートを見えないように隠すため、自分のコートをその上に被せたの。そんな感じで、おわり。