窓の外はひとつ除いてすべて光(けいおん!)


アニメ『けいおん!』の部室における「窓」ですが、いままではこういった(↓)感じに描かれることが多かったです。


窓の外には何も描かれてなくて、それは完全に光源、光として描かれている。もちろん、カメラアングルや日当たりやそもそも部室の階が高いからといった要因でこうなっているのかもしれませんし、単純に作画コストのようなお話なのかもしれませんが(そもそもCLANNADなどでもこういう窓はたくさんありましたが)、しかしこのように、景色が映らずに光を取り込むものとしての「窓」として描かれることが非常に多かったですので、やはり何らかの意図がある、いや意図は分からなくとも(なくても)意味は生じるでしょうから、ここは一つ深読みしてみようじゃないですか。自分深読み厨ですから。
さて、その「窓の外に光だけ」ですが、非常に多かったというか、多かったどころか、第4話までで部室の窓が映った168カット全てが、そういう「窓」でした。

話数 光オンリー 光以外(も)
1話 41 0
2話 68 0
3話 53 0
4話 6 0
5話 67 2

(※ギリギリ窓枠が映るかどうかくらいのものはノーカウント。4:3にて。16:9だとちょっと変わってくると思います)
窓の外には世界がなくて、光しかない。その光は、窓の内側の世界を照らすだけのものとなっている。
こう考えると、そこにひとつの集合・閉鎖性などを見て取ることもできるのではないでしょうか。軽音部の部室という閉ざされた空間においては、窓の外にある世界はもはや関係ないもので、内側からは映る必要性も意味もなく、というより、もはやそれは「見えないもの」であって、さらに、内側の集合に「光を照らす」もの――隔絶の壁であり、かつ、隔絶により向こう側からこちらに光が投射される――である。とかなんとか。外が”徹底して”見えないからこそ、内側を閉鎖空間としてとらえることはできるのではないでしょうか。


という部室の窓に、この第5話にしてはじめて光以外のもの、つまり外の景色が映りました。

(冒頭の箇所)
光しか映らないことを内側で閉じることと解釈すれば、外側が映ることは、この軽音部が外側に、今までとは異なる何らかの形で関わるということを示唆していると解釈することもできうるのではないでしょうか。それはちょっと短絡すぎるんじゃねって気もしますけどw、あくまで示唆的なものとして。
外景に繋がるということは、新たな人物がこの空間に参入することであり、しかし唯やムギたち軽音部員のときにこのようなことは無かったということは、この内側に入りきらないけれど外側に出きらない人物がその対象である。このシーンで彼女たちが見ていたのはかつての軽音部員たちが写っているアルバムで、その中の一人が実際に軽音部の顧問という、そういった対象となる。「かつての軽音部員」「顧問の先生」という、半歩内側で半歩外側であるような人物、さわこ先生。
外を描かないことをある意味での閉鎖性を示唆するものと考えれば、この窓はそういう意味を示唆したり暗喩しているととらえることもできるんじゃないでしょうか。
この箇所以外の、もう一つの「窓の外」が光だけではなかった箇所は、Aパート終わりのところ、さわこ先生の回想に入る直前の「桜」が舞っている箇所でした。その桜自体は現実にあったものではなく、回想に導くためのものでしたが、「かつての軽音部員」の「かつての軽音部時代の思い出」という、軽音部的には「内」でありしかし現在の軽音部的には「外」であるその微妙な距離は、(桜が)捏造される窓の外という嘘の・あるいは強引な外部性・開放性の流入と繋がると考えられるかもしれません。それは軽音部(彼女ら4人)におけるさわこ先生の立ち位置と類似的でもあるでしょう。


さて、部室以外の「窓の外」がどうだったかというと、学校内においてはこれまで57カットほど「窓」が映り、そのうち55カットが「光」のみ――つまり残る2カットがそうではありませんでした。その2つの窓がはたして外部的・開放的かというと、ひとつは第1話、「翼をください」演奏の箇所。

もうひとつは第2話Bパート最初の和との会話時。

前者は、「何かしなくちゃいけないような気はするんだけど……いったい何をすればいいんだろう」という唯が、軽音部に入る決め手となったところ。唯にとっての外部=新たな場所であり、またそこに唯自身が「加わる」からこそ、外が描かれたのは部室の窓ではなく廊下の窓であるともとらえられるのではないでしょうか。
後者は、

和「バイト?」
唯「うん。ギター買うために」
和(いつの間にこんな自立した子に……嬉しいような悲しいような)

という会話の箇所。実際は自立したってほどではないのですが、しかし唯という自分自身と、軽音部員の唯という自分自身の「外側」がそこに潜まれている(和から見ても)と、とらえることはできるのではないでしょうか。
また学校以外の場所で窓から外が見えるといえば、第4話の電車の窓から外が見える――これはまんまですね、別の場所に向かっていますし――とか、第3話の、追試のために一人で勉強中……なんだけど他の事が気になって全然勉強ができない唯、という箇所の部屋の窓も、外がよく見えるものでした――こちらは勉強というやらなければいけないものに閉鎖できず、他のことに気が回ってしまう、(ここにおける)ダメな外部性・開放性ととらえることもできるでしょう。実際、唯が真面目に勉強することになる、軽音部のみんなが来てからの部屋の窓は、光(夜は闇)しか映していないようでした。
軽音部というのがある程度閉じて、纏まっている集合であるがゆえ、そこの「窓」が閉鎖性や開放性、内部性や外部性を、こっそりと示唆したりひっそりと暗喩していたりする――かどうかは分かりませんが、そういう意味を持つものとしてとらえることもできるのではないでしょうか。


(追記)
prepaintedさんのコメントより。

そこで少し補足させて頂きたいのですが、5話における「窓の外」の描写について、ここで挙げられている2箇所以外にもう1つ、Bパート終盤「ボーカルが唯で曲目がふわふわタイム、と」というところで、ドアの窓越しに入道雲と飛行機雲が描かれていますね。これは部室ではなく屋上か何かでしょうか。


こちらですね。純粋に「窓」ではなくて、ドアに取り付けられた小窓だったので省いてしまいましたが、わざわざここでこうなるということに何らかの意味を読み取ることは、たしかにできると思います。
このドアはどこのドアかというと、確証はないのですが、たぶん「軽音部室の真向かい」のドアなのではないかなぁと思います(追記:と思ったけどたぶん違うわ)。



その形状や柱などの周辺物、軽音部室がおそらく最上階にあること(階段が終わってる)、何の関係もない場所よりは少しでも関連ある場所の方が映される可能性が高いんじゃないかみたいな予感、とかからの推測ですけど。扉の前に机みたいなの置いてある感じなので、全然違うかもしれませんが……。
と思ったのですが、書いた後に改めてみたらコレ全然違うっぽいですね。ドアノブが違うし。あー、どこなんだろこれ。
しかしこの扉が部室以外のところにある扉だと仮定すると、部室の外(から外が見える)というのが、ここでの会話(文化祭のステージというかなりパブリックな話題)の中心に置かれる唯が、さわちゃんという部室の外で特訓してパワーアップしたけど声が潰れる、となんとなくかぶるんじゃないかなぁとか思うところもあります。まあ全部牽強付会気味ではあるんですけど(笑)。