置き去りと、届かなさ――Angel Beats! 第1話

テーマが「人生」で、「麻枝准が送る最高の人生賛歌」(http://www.angelbeats.jp/story/)とまで煽られたら僕も久しぶりに感想書いてしまいますよ! ということで半年振りくらいっすね、こんにちは。さて『Angel Beats!』ですが、あの『CLANNAD』に続きまたも「人生」です*1。しかも今回は「賛歌」まで付いてしまうのですから、期待に打ち震わざるを得ないでしょう……てゆうか煽りすぎだろって感がありますがw
しかし、第一話でこんなこと言うのも早すぎですが、どのようにそれ(人生)を描くのか、というのは少し気になるところ。『CLANNAD』が人生と呼ばれたのは、前提として、学校生活から卒業、就職に結婚そして出産、それらに伴う困難や壁とそれを乗り越える強さとか弱さとか人の絆とかとかがまずあったから――つまりまんま「人生」ですね、普通の人の人生を大なり小なり踏襲している――でもあるのですが、対する『Angel Beats!』において、そういうのは恐らくありえません。なぜなら死んでるから。死後の世界だから。ここでは当然卒業や就職は起こりえないし、人の人生をまんまで踏襲することはできない。死後の世界なんだから、ここではありとあらゆるものが(厳密には)現実と同じレベルでは存在してないんですね。たとえば「友情」「恋愛」なんかは比較的近くても、「社会」とか「生活」なんかを描くには、現実に対して比喩・隠喩的にならざるを得ない可能性が高い。
その上で、果たしてどうやって「人生」を描いていくのかが楽しみです。(※ただし、これが本当に「死後の世界」かどうかは不明。ゆりっぺ*2自身も、この世界が何なのか分かってない節がありますよね。天使や神的な誰かに答えを聞いたというワケではなく(天使は世界の根幹に関わる質問に答えず、神は本当に存在するかどうかも分からない)、第一話での情報の限りだと、恐らく憶測と伝聞でそう判断したのではないかな、と推測される。「自分がここに来る前に死んだ」ってことと「消えてく奴がいる」ってことだけは確かな記憶と確かな体験なので、そこから判断したのではないだろうか。「天使」という名称も、彼女が自称したわけではなく、そこからの判断とか*3。もちろん、そうではなく、本当に「死後の世界」なのかもしれないけれど。――とか、どうせ何週か経てば明らかになると思いつつも)

置き去りと、届かなさ

さて、ネット上の感想を見ると「よくわからない」「置いていかれる」「感情移入できない」「説明だらけ」「唐突に握手して仲間に加わるとかw感動も感慨も何もねえw」みたいなのを結構見かけますが(http://yunakiti.blog79.fc2.com/blog-entry-4950.html)、いや自分も最初そういう印象を持ったのだけど、それはある意味正しいのではないでしょうか。だって音無くん自身がまさにそうだからハルヒの「エンドレスエイト」について、「これは長門の、諦めやら疲れやら絶望という感情や気持ちを表しているんだ(表していることになる)」という解釈を結構見かけましたけど、それと同じく。狙ってやったかどうかは措いといて、結果的には、視聴者の感情のソレは音無くんのソレと似た部類のものになっていたのではないでしょうか。なんなんだ、わけわかんねえ、と彼が叫ぶように。(死んだ世界戦線の人たちと)俺は団結しているわけではない、と彼が語るように。そして彼の行動もほとんどが受け身なように。彼からする会話はほとんどが質問=説明を求めているように。音無くんもまた、よくわからないし、仲間ってわけでもない(移入してない)し、置いていかれてるし、説明を受けまくっている。

それが上手いかどうか、面白いかどうか、狙ってやってるのかどうかは措いといて。結果的に、そこは相同的である。

が、もちろん、だからといって視聴者は音無くんとイコールになれるわけではありません。「エンドレスエイト」にて繰り返される日々に対する感情がいくら長門と”似たようなもの”であっても、結局両者は同じ体験をしているわけではないのだから、”同じ”とは言い切れない差異の方が際立ってしまうように。何らかの出来事において、実際に現場にいて感じる怒りと、それを伝え聞いて感じる怒りとでは、質かあるいは量が異なるように。現前と再現前の差異の上に受け取る主体も異なるのだから当然のこと、奇跡のような確率で同定されることはあっても。際立たされるのは、対象とも同定されない孤独であり、それは双方にとってもそう。エンドレスエイトでいえば、結局、視聴者と長門は異なるのです、その点においては両者は繋がっておらず長門は”より”孤独である、ということが際立つ。同じ様な感情を抱いていてもそれは決して同じではなく、似ているのに異なっているからこそその差異が際立ち、より孤独感(※長門の孤独感)を強調することになる(――のだから、「エンドレスエイト」におけるソレは、視聴者と長門が”似ているのに同じではない”状態でも(状態の方が)効果的、と言えるでしょう)。
ゆえに『Angel Beats!』でも、その点においては似たようなモノではあるが、決して”同じではない”ということ。相同的であるだけで、いや下手に似ているからこそ、差異が明白になり、どちらもが置き去りにされる―――。

意外なほどに、音無くんは、自分から行動を起こすことも・自分から話しかけることも・自分から誰かに触れることも、さほど多くはありません。行動に関しては、ほとんどが何かへの反応や、言われたことをするというところで、自分で定めた自主的な行動というのは、冒頭グラウンドの天使のところへ行く箇所、消されるために信用できる奴を探すという箇所、それと戦闘後ただ一人天使を見つめる箇所、くらいだったのではないでしょうか。また自分から会話をはじめるというのも意外と少なく、というか、冒頭の天使への話しかけとラスト着席時の質問以外はほとんどないと言える――し、その他に多少あるのも質問や疑問ばかり。そして、誰かが彼に触れるというのはあっても、彼が自分から触れるというのは殆どない*4
たとえば、順応性を高めてあるがままを受け止めて、仲良くなったり共に戦ったりすれば、このように、よくわからないし、仲間ってわけでもない(移入してない)し、置いていかれてるし、説明を受けまくっている状態にはならないのでしょうが、しかし実際には、説明を聞きまくるも分からないで置いていかれているまま取りあえず行動を共にする程度の状態――つまり、よくわからなくて、仲間ってわけでもなく(移入してない)て、置いていかれて、説明を受けまくっている状態になっている(視聴者ともども)。

なぜ音無くんは、ゆりっぺの言うように「順応性を高めてあるがままを受け止め」ないのか。それはそもそも「置き去りにされている」からでもあるのではないでしょうか。
音無くん自身が「置き去りにされている」と記しましたが、それは「そもそも」なんですよね。そもそも、死後の世界というのなら、現世(現実・社会・家族・友人その他もろもろ)から置き去りにされていて、かつてあった肉体から置き去りにされていて、そして記憶がないのだから、自分自身からも置き去りにされている。彼が

「まだ早い。俺には、記憶がないんだから……」(ラストの部分)

と云うのも、もっともであって。自分自身にすら置き去りにされているものに何の判断ができるか、何を考えることができるか、もししてしまっても、それを引き受けるのは誰か?というところ。

「今俺が最も優先すべきもの、それは自分の記憶を取り戻すまでの時間を無事に稼ぐこと、それだけだ」
「それからは……」
「それからは……わからない」

だから、先々に対してはまだ不明のままである、と保留するのも当然なのでしょう。

自分自身から置き去りにされていて、死後の世界なんだから現実世界からも置き去りにされていて、かといって「この世界」のことも分からないんだから、この世界からも置き去りにされている。
せめてどれか埋まらなければ始まりもしないというワケで、彼が質問しまくるのも当然なのですが、そこにも満足な答えが存在しません。説明は世界の解明に届かず、かといって記憶という自分自身にも届かず、もちろん現世にも届かず、斬られても刺されても死なないように自分の――人間であったころの身体にも今は届かず、そのうえ消え去るという終わりにも届かない。


その中で「天使との接触」は少し特徴的でした。

音無くんが自分から誰かに(身体的に)触れるというのは、厳密に言えばゆりっぺとの握手しかなかったのですが*5、しかし武器でもって触れる=傷つけるというのも接触に加えれば、天使にも触れてると言うこともできる。

「死なないことを証明してくれ」と軽い気持ちで言ったら、「職員室の場所を答える」ような当たり前さで、刺し殺されて*6しまった音無くん。随分なディスコミュニケーションです。他者と触れ合うことは傷つけ合うことだーとか言うと安っぽすぎますが、しかし天使との触れ合いは現状、齟齬ったコミュニケーションと、傷つけ合いしか存在していません。刃で刺され、銃で撃ち。いえ、正しく言えば、現状、傷つけ合いしか届いていないと言えるでしょうか。とりあえず分かる範囲の情報*7だと、天使は、人間をいわゆる「成仏」させるように行動しており、それ以外の点に関しては反応・感情とも乏しいように思われる(※そこに対してすら感情が込められてるかは不明ですが)。SSSと天使との交渉や歩みよりは、実際にやったかどうかは分かりませんが、現状では特に無いのではないかと推測される。少なくとも、あったとしても、(願いや目的に)”届いてはいない”のではないか。実際には――現状では、銃撃と剣戟、攻撃と防御と反撃しか存在していない。第一話を見る限りでは、銃弾と刀身しか届いていない。

……のですが、しかし第一話においては、音無くんのそれしか届いていないし、向こうからも音無くんにしか届いていません。ここまでのところ、天使が刃を突き刺せたのは、音無くんのみで、天使に銃弾を届かせられたのも、音無くんのみ。他は全て、刃が届かない位置に在り、放った弾丸も届く前に処理される。他者と触れ合うのは傷つけ合うことだ、といっても、そもそも刃届かず銃弾届かないのだから、傷つけ合えていない、触れ合えていない。他の人々は、傷つけ合うことすら叶っていない、届いていない。唯一、傷つけ合えている、触れ合えているは音無くんのみ*8

※音無くんが瞳奪われるこの天使の姿は、彼以外の誰も傷つけられなかった=触れられなかった=届かなかった姿。
音無くんにとっては、自分から触れてかつ相手からも触れてきた対象は、この天使のみ*9。しかし両者には、まともな会話には未だ届かず、傷つけ合う、暴力という触れ合いにしか届いていない。これを、この程度しか届かないし、こんなものしか届かないけど、それでも届いていると見るべきか。それとも逆に、こんなものしか届かないのか、こんなものなら届くのか、こんなものでも届いてしまうのか、と見るべきか。
いずれにせよ、「(記憶がないから)まだ(決断には)早い」という彼の言葉を鑑みれば、全ては彼が置き去りにされた自分自身を取り戻してからかもしれません。*10

*1:CLANNADが人生なのは公式(作り手)が言い出したことではないけど。対してAB!が人生なのは公式自身が言ってること。

*2:ゆりっぺから「ハルヒ」を連想している方を結構見かけますけど、麻枝准の「リトバスEX」プレイ済みの人は、ハルヒよりも圧倒的に「朱鷺戸沙耶」を連想しますよね。以下リトバスEXのネタバレ含みますが、連想させるポイント。 ・性格が似ている(同じではない) ・態度が似ている(同じというわけではない) ・声が似ている……つか中の人が同じ ・声の演技も同じに近いくらい似ている(沙耶の画像見ながらゆりっぺの声を聞いても、ゆりっぺの画像見ながら沙耶の声を聞いても、まったく違和感ないレベル) ・口調とか喋り方・喋ってる内容なんかも近い感じ ・両者とも銃器を扱う ・両者とも物語開始時点で「既に死んでいる」 ・両者とも死んだ後に迷い込んだ世界で学校に通う ・その学校で普通に授業を受けるのではなく、ゆりっぺは生徒会長と、沙耶は闇の執行部というように、それぞれ名称だけでも学校内の権力機関であるものと対立している ・ゆりっぺは「神」、沙耶は「秘宝」と、両者とも姿形正体が分からないモノを探している ・死んだ後に通った学校で何か色々と(具体的には現実の沙耶が得られなかった青春とか)得て、AB!的に言うと成仏する沙耶。それに対しゆりっぺはどうなのか  ―――ここまで来ると、まさか、死後に迷い込んだ世界で何かやるという同じネタを、それなりに性格も近く声に至っては全く同じキャラで、連続で(AB!直近の麻枝作品はリトバスEX沙耶シナリオ)やるのか? という疑念が湧いてきます。これが本当に死後の世界だったら、少なくともスタートラインとしては、朱鷺戸沙耶と相似じゃないか、と。全く同じだから、連続で(スタートに関しては)同じネタになっちゃうから、だからこれは本当に死後の世界なのか? と思ってしまうわけでして。いや逆に、連続でやるからこそ差異が際立ち、対称形になるのかもしれませんが――サブならともかく、メインのラインでこうもあからさまに似通ってしまうのは、これまでのだーまえさんではあんまりないよなぁ、と思うわけで。

*3:NPCも、わたしたちが想像するいわゆるゲームにおけるNPCと同じ意味でのNPCと確定されたわけではなく――というかゆりっぺ自身が「たとえよ」と言ってますね。「たとえよ。連中はこの世界に最初からいる模範ってわけ」、と。なのであくまで推測、便宜的にNPCと名付けているだけの可能性もある(実際にNPCとイコールである可能性もありますが)。

*4:せめてゆりっぺとの握手くらいでしょうか。大山・松下との握手は、彼らのほうから手を出してきている。

*5:それすらも、自分から手を差し出したのかどうかよく分からないというものでしたが

*6:実際は死んでいませんが

*7:というか自分がチェックしている範囲ですけど。第1話とTrack Zero一話(http://news.dengeki.com/elem/000/000/245/245405/)期間限定で公開されているそうです。

*8:もちろん、第一話を見る限りであって、「過去にはどうたら〜」とかは当然あるかもしれないし、むしろあって当然。

*9:音無くんが自分から触れた相手は、判別付きがたいゆりっぺとの握手と、この銃撃のみ。大山・松下とも握手していますが、あれらは向こうから手を差し出したもので、音無くんが自分からとは言い難い。向こうから触れたのは、校長室に入ってきたところを日向が触れたところと、作戦終了時に手の平の食券見つめる音無くんに「それでいいのか」日向が肩を叩いたところと、武器――暴力という接触を含めれば、序盤の100HITのところと、上述の天使のところのみ。

*10:とかいいつつー。今までのだーまえさんを鑑みると、記憶を取り戻すみたいなでっかいアレコレは結構ラストの方に持ってくる場合が多いので、今回も記憶を取り戻さないまま終盤まで進む可能性が高いんじゃないかなー、とかも思います。実は彼の記憶がこの世界の秘密に何らかの関わりを持っている可能性もあるわけで。