「Angel Beats!」 における、剥奪された<現実>

Angel Beats!」といえば、ここまでキャラクターが死にまくってる・死ぬような傷を負いまくるのですけど(※実際に息絶えるわけではないですけど)、その描写の仕方がちょっと面白い。

  • 第1話
    • 天使に刺される音無くん
    • 100HITと叩かれ斬られまくる音無くん
    • ワナにかかり吹っ飛ぶ音無くん
    • ワナにかかり吹っ飛ぶ野田


  • 第2話
    • 鉄槌に潰される野田
    • 鉄球に潰された高松(直截的な映像は無し)
    • 天井に押しつぶされるTK
    • レーザーっぽいのに斬られる松下五段(直截的な映像は無し)
    • 落とし穴に墜ちる大山くん&日向
    • 溺れる藤巻
    • 滝底に落ちる椎名さん


こう並べると、共通項が見えてきますね。どれもグロくはない。どれも直接的なところは映していない。天使に刺された音無くんの、刺されて血がドバーッというのを描写しない。「刺されるとこ」までしか映さない。ワナにかかり吹っ飛ぶ音無くん&野田が、地面に激突して悲惨なことになるところを描写しない。「吹っ飛ぶところ」までしか映さない。鉄槌に潰された野田が、口から血を吐いたり内臓が破裂するところを描くでもなく、高松が鉄球に潰されたところはそもそも描かれず、TKが天井を抑えるところまでは描いても、その先の潰されるところまでは描かず、松下五段が切り刻まれるところは描かず、落とし穴に墜ちた大山くんと日向が地面に激突するところまでは描かず、藤巻が溺れ苦しむ様は描かず、椎名さんは落ちていくところまでしか映さない。

どれも直接的なところ――直接的な死、直接的な傷――は映していない。傷が身体を穿つ瞬間、傷口から血が滲み出る瞬間は映していない。本当は身体に穴が穿たれ、そこから血液が流れ出てる筈なのに、その現実をわたしたちには見せないようにしている。この第2話で、日向が、実際にはもの凄くグロかったであろう松下五段の切り刻まれた死に姿を「見ちゃダメだ」と言って音無くんの眼を強引に覆いましたが、まさにそれと同じように。わたしたちにもまた、「見えないように」している。
死後の世界(死後の世界だという前提で考えれば)であるここは、当然ながら(リアルという意味ではなく、現世という意味での)現実がある程度以上は剥奪されていて、それは登場人物の彼らにとってもそうなのですが、その結果、わたしたちにとっても現実――<現実>(現世という意味だけではなく、この世界におけるリアルという意味での)が剥奪されている。
彼らの傷や流れる血を見られないことによって、わたしたちは彼らのソレと・この世界における彼らのソレという出来事と、まさに「出会い損ねて」いるわけですが、これは正しいか否かでいえば(シリアス一辺倒でなくギャグ的に描くという前提の元であれば)取りあえず正しいんじゃないでしょうか。死なない世界だから、死ぬような出来事がギャグに回収できる(言わばトムとジェリーに代表される死ギャグ)わけですけど、だからといって、人の肉体が切り刻まれるのを直接に見せてしまったらギャグにはならない。死なないと分かっていても、その凄惨な死に様に思わず嘔吐してしまった大山くんの姿が、まさにそうですね。死なない・蘇えるという設定は、人間の身体が傷つけられるという圧倒的な現実が現前してしまったら、機能しない――現実の質量に蹂躙されてしまう。だから、設定や世界観だけでは、「現に人が死ぬ」映像の威力に前提が覆されて深刻になりすぎてしまいかねないから、「出会い損ね*1」で正しいのではないかと取りあえず言えるわけです。ですが。

これは「死」だけではなく、傷もおおっている。さらに言えば痛みも。音無くんが「死ぬほど痛てえ(のに死ねないなんて)」と述べますが、しかしわたしたちには、彼の痛みそのものは分かりにくいですよね。だって悲鳴を上げる描写が入れられてるでもなしで、身体がざっくりと開かれて血がどばっと出ている描写があるでもなしで、つまり彼の痛みは描かれていない。むしろ、わたしたちはいつも、事後や反応でそれを知っていると言えます。



天使に刺された現実を、血みどろのシャツという痕跡を見て知るように。第1話の100HITのあと、大量出血の血だまりという痕跡を見て、「死ぬほど」の内実を知るように。切り刻まれた松下五段がいかに悲惨で残酷だったのかを、大山くんの反応(驚愕する瞳&嘔吐)に知るように。痛みや傷という現実は剥奪されて、ただ痕跡*2や反応という向こう側からかいま見えるだけ。
つまり、「Angel Beats!」の世界は死が剥奪された世界ですが、たしかに映像的にも死が剥奪されているといえるでしょう。しかし、死を――現実を剥奪するあまり、傷も痛みも「(痕跡や反応に知るという)向こう側」に剥奪してしまった。傷とも痛みとも出会い損ねてる。それらと出会うのは「事後」「痕跡」「反応」からである、くらい、遅れてやってくる。……ここまでのところ、遅れてやってくるものは、現実を見せないようにする映像と異なり、むしろ容赦していない、と言えるかもしれません。上に挙げた画像の、鮮烈な出血多量レベルの血の赤の印象や、この2話で描かれた中では誰よりも・何よりも取り乱した瞳をしている大山くんの反応、これまでにはなかった嘔吐という、比較的現実的な人の死に様への反応(しかもそれらを、一番穏やかでおっとりしてそうな・優しそうな大山くんにやらせるという容赦の無さ!)。そして完全に事後として語られる、ここまでで最も残酷な印象を残す、ゆりっぺの過去話。向こう側に見える、遅れてやってくる現実は、モノとしての現実という境位をあらゆる面で失っているのだけれど、たとえば「見ちゃダメだ」と視界を塞がれるのが逆に「見ちゃいけないほどの残酷な光景がそこにある」ことを思わせるように、それは現実以上の現実を想像させる。


しかし、ここまでに記したのはSSS(死んだ世界戦線)の人たちの話で、それとはまったく逆の描かれ方をされてる存在もいます。



天使です。
SSSのひとたちは、直接的なところ――直接的な死、直接的な傷――は映さなかった。傷が身体を穿つ瞬間、傷口から血が滲み出る瞬間は映さなかったのに対し、天使は、ここまでのところ、全て、直接的なところ――直接的な死、直接的な傷――を映していた。傷が身体を穿つ瞬間を、傷口から血が滲み出る瞬間を映していた
SSSのひとたちからは、映像において、現実的なものが剥奪され――傷が剥奪され、痛みが剥奪され、死も(死に至る傷も)剥奪され――ていたのに対し、天使だけは今のところ一つの例外なく、現実に銃弾があたり身体が抉られ血が流れ出る様が、確実に描かれている。

これの意味するところは様々であり――というかぶっちゃけ、設定世界観音無くんの記憶が明らかになっていない以上、色んな想定が出来すぎて困ってしまうくらいなんですが*3――いずれにせよこの対称性は面白いでしょう。SSSのひとたちには、ギャグっぽくするために残酷にしすぎないとかの理由がありつつも、「見ちゃダメフィルター」が入っているのに、天使に対してはそのフィルターが入っていない。つまり現実を見れる、出会える可能性がある。しかも現時点では、唯一。

……天使自体が、音無くんにとっては正体不明・ないし現時点で正体保留にしているし、自身の天使に対するスタンスも(第1話ラストで「(記憶がないから)まだ早い」と言っていたように)保留にしているように、彼女は<現実的なモノ>的に存在している(象徴的位置が定まっていない・不安定・むしろ保留という名の浮遊)ので、その彼女に対してフィルターが働かないのは当然であるといえるでしょう*4。逆に言えば、フィルターが働くSSSのメンツは音無くんにとって何だという話であり、いや実際に、天使に対して、「(記憶がないから)まだ早い」と云うように、慎重で真摯な姿勢を取るのに対して、SSSに対しては「正直なところ、俺は団結なんかしていない。今俺がもっとも優先すべきもの、それは自分の記憶を取り戻すまでの時間を無事に稼ぐこと、それだけだ(第1話)」と云うように、言葉は悪いが利用する気がまんまんである。ぜんぜん慎重でもなく真摯でもない。ならば、音無くんがSSSの彼女らに対して、<現実>を見ようとしないのは当たり前なのかもしれないし、だからこそ、<現実>が回避されている――映像に「見ちゃダメフィルター」が入るのも、当然なのかもしれません(が、さすがにこれは考えすぎなだけかもしれませんw)。



図式だけ見ると、ゆりっぺ達はあまり傷を見せないまま、天使だけがひとり傷つき続けていて(↑のようにボロボロになってくれるのだって、「見ちゃダメフィルター」をやられないのだって、現時点では天使だけ)、そりゃ天使の人気が出るのも頷けるのですがw、しかし一方で、ここまでやっておきながら、現実の境位で描くという論理も保持されています。つまり、死なない世界での死を利用したギャグを描くのならば*5、はじめからキャラクターをデフォルメしたり背景を異空間にしたり派手なエフェクトを入れたりして、あからさまに「これは現実とは違いますよ、ギャグですよ」ということを表明すれば容易なのに、第1話の「100HIT」を除いて、そのようなギャグ時空・ギャグ描写がまったく用いられていなかった*6。それに限らず、殆どの場合において、キャラのデフォルメ化や背景異空間といったことを用いず、あくまでも現実の境位で、ほとんど全てが描かれていた。

それゆえに「現実を剥奪する」という対応が存在しているのですが、しかしそれはSSSに対してだけで、天使に対してはそうではなかった。傷、痛み、現実に関して、両者は対称的に描かれている。―――上にも記した通り、もうちょっと先々まで見ないと何とも言えないですが、しかしいつか、SSSにも剥奪された現実が戻ってきた時、つーか戻ってくるのか分かんないですけどw、向こう側に垣間見える現実(リアル)がこちら側にやってきた時、現実(リアル)が遅れてやってこないで現在進行形になった時、そうなった時、音無くんはどうなのか、わたしたちはどう思うのか。あるいは、今は見える天使の方の現実(リアル)が剥奪された時は果たしてどうなのか。天使とSSS、この対称的な描かれ方が崩れ、現実が姿を露にした時に、果たしてどんな答えがそこに待つのか。なんかをこっそりと注目していきたいなーとか思います。

*1:ラカン的な意味で。

*2:「死後の存在」である彼ら自身もまた「痕跡」の存在であると考えることもできて、それもまた面白い――といっても、その辺は「現実・生前」と、現今の彼らがどのような関係にあるか・どのように関わるかに大きくかかっているので、現時点では何も言えないのですがー(そもそもマジに死後の世界なのかどうかも、現時点では未確定ですし)。

*3:なのでこのネタは、ついつい今書いてしまったけど、数話あとにぶり返すかも(だったら最初からそうしろという話でもあるんですが(というか数話後には、この共通項がフツーに破棄されてたりして(今までのはただの偶然だったりして

*4:ある種、僕らにとっても、かもしれません。「私は天使なんかじゃないわ」と彼女自身が言うように、天使の正体はまだ決定的ではないのだし。

*5:実際に死なない世界を逆手にとったギャグの存在は、作者インタビューで示唆されています。

*6:ちなみに、SSSメンバーの(※音無くん、その時はSSSメンバーではなかったけれど)血が出る的瞬間はその時だけ映し取られていた。