「Angel Beats!」オープニング&第2話に関するメモ

なんだかんだいって『Angel Beats!』ってネット上で結構語られてる印象ありますけど、しかし大部分が「設定」「物語・脚本」「作画」であって、演出などの映像面は全然語られてなくてせっかくAB!はアニメでやってるのにそれを語らないなんて寂しすぎるじゃんと思って語った結果が今までに挙げた二つの記事だよ!(http://d.hatena.ne.jp/LoneStarSaloon/20100412/1271013978)(http://d.hatena.ne.jp/LoneStarSaloon/20100406/1270484768)  ということで、あの二つの記事はちょっと強引で、先走りで、牽強付会ぎみなんですが(※それどころかこの記事も含めて、いつものことなのですが)、しかし多少無理矢理やこじつけがあっても、映像面(演出*1)に対してはこれからもアプローチしていきたいと思います。全てはあとでジャンプするための飛び込み台だということで。
で、当然それだけだと語れなかったところがいっぱいあるので、その補填的にメモ。

オープニング

  • 歌が良すぎて死ぬ。(←これは死ねない世界のジョークよ)
  • 暗闇の中、ひとりピアノを演奏する天使。そこに降ってくる光の玉(仮称:何なのか不明だけど、CLANNADのソレに似てるので、便宜的に)。それが彼女の指・鍵盤に触れた瞬間に、世界が(あるいはこの学園が)見えるようになる/顕現する/生まれる、どれなのか分かりませんが、とりあえずその瞬間に世界が現れる。そういやこの世界って学園だけで閉じているんですよね。他には何も存在しない――存在するのかもしれないけど、とりあえず現時点では、この学園の敷地内・その周辺だけでセカイは閉じている。辿り着ける範囲と手の届く範囲に(地勢的には)セカイの全てがある。……のだけど(ように見えるのだけど)、ゆりっぺが探している/求めている/敵対したがっているのは、その狭い世界の中に居るのかどうかも分からない「神」。
  • 名前が表示されるキャラクター紹介。そこにはイメージカラーか、あるいは単純に見栄えの問題かは分かりませんが、「色」がついてます。ゆりっぺと音無くんは「赤色」、日向・野田・高松・椎名さんは「青色」、藤巻・大山くん・松下・TKは「緑色」、バンド組は「黄色」。さて、赤・青・緑・黄の四色を同時に扱ったもので、現在世界でもっとも有名なモノといったら、OSによっては、今みなさんが見ているモニターにも映されてるかもしれないアレがあります。そう、Windowsのマークです。他にも、Windowsと並んでPC・ネット関係で最も有名なGoogleのマークもまた、赤・青・緑・黄の四色のみが用いられています。つまり……その、ほら、この事実によって、AngelBeats!電脳世界説が裏付けられたのです!!(ねーよ)
    • ちなみに、そのキャラ紹介の場面、右上&左下に、コンポの液晶表示部とかによく出てくる……なんかアレがあります(ボクじゃ説明できない物体なので、自分で確かめてw)。彼らの存在自体がビーツ、天使が奏で続ける楽曲の……とか一瞬思ったけど文章にしてみると自分でも何言ってんだかわけわかんね。
  • ただピアノを弾き続けるだけの天使が、ピアノを弾き続けたまま、あらゆる場所に現れる。この世界=学園に彼女が偏在している徴か。そういえば、作戦の話を校長室以外ですると危険だ、と語られてました。これはつまり、校長室以外での会話・出来事は、たとえそこにいなくても、彼女の監視下にある、ということでしょうか。―――ちなみに、ありとあらゆる場所に現れる天使&ピアノですが、ひとつだけ現われなかった場所がありました。それは「校長室」(ゆりっぺが銃握ってた箇所)。あそこが安全だというのは、ワナがあるからだけじゃなくて(そりゃワナがある=安全なら、ギルドも安全な筈だし)、なんらかの効力・理由が存在しているのでしょう。しかもおあつらえむきに「校長」室だしね。生徒会長と何かしらの対応関係の存在を示唆している。
    • ここまで書いてみて、閉じられた世界での天使による管理社会、ならばそれに反抗する存在も物語的には必定だろう(ゆえに敵は見えない神なのだ)……とかちょっと思ったけどそれはだーまえさんっぽくないよなぁ。


  • 天使が演奏している場所で気になるところといえば、この空の上と、どこか分からない部屋の中。空は何かしかのイメージ・象徴だとしても、こっちの部屋は恐らくそうではないでしょう。はたしてここがどこなのか。普通に天使の住んでる部屋なのか、それともゆりっぺか誰かの部屋なのか、あるいは生前のゆりっぺか天使か誰かの部屋なのか。これはそのうち明かされると思いますが。そして、この部屋に関しては、光の玉(仮称)が落ちてきます。
  • そして、落ちてきた光の玉(仮称)が天使の指に・鍵盤に触れたとき。一瞬世界は暗転して、その後、今度は、落ちてきていた光の玉(仮称)が空に舞い上がっていく。これなんてクラナd(ry  「幾億の星が消え 去っていくのを 見送った 手を振った よかったねと」というこの部分の歌詞。これを聞かされると、そうそうに明らかにされた設定、「死後の世界ゆえの成仏」を想起せざるを得ません。そもそもの第一報(http://www.youtube.com/watch?v=3pu9VXuIMmw)。「希望を胸に生まれ落ちる命――天使(かのじょ)はそれを見送り続けてきた」。あるいは、公式サイト(http://www.angelbeats.jp/story/ の天使のところ)。「どうか、彼らが、彼らの物語を終えられますように。手を振って、見送れますように。よかったね、と」。――――――これが本当に、死後の世界かどうかは分からないけれど、それでも、描かれる内容は、その最も大事なところは、どちらにしても大差ないのかもしれない。
    • つか、ボクがだーまえさんで最も大好きな部分です(※勝手に見い出してるともいう)。(http://nasutoko.blog83.fc2.com/blog-entry-81.html)ゴールしていいよねから9年後、最初からゴールしていた沙耶さんは、そんな言葉はブッチして銃弾という現実的な重みにより一瞬でゴールに至るわけでして、その結果が、あのEDの幸せな死に顔なのですが。さあ、ゆりっぺ、あなたは?あるいは天使さん、キミは?と期待せざるを得ない。つーかボクがだーまえの話するとたいていこの流れであって、お前こそいい加減ゴールしろよって感じなのですが。
  • 場面の切り替わりに、ちょくちょく「羽=天使の羽」が入る。さらにOPラストカットでは、天使の翼を持つ天使ちゃんが。


  • はじまりは学園の外側、学園が見渡せる位置で、終わりも学園の外側、学園が見渡せる位置です。光の玉(仮称)が空へと昇り、学園には明かりがつく*2。見送り手である彼女は、どこにでも偏在しながら、常に外側に排除され続けている、あるいは本質的に外側にしか居られない――というのは短絡すぎる嫌いがありますが。
  • 天使は普通に、演奏しているだけである。何処であろうと、室内だろうと屋外だろうと空の上だろうと、周囲に誰がいようと、昼だろうと夜だろうと、光の玉(仮称)が降ってこようと舞い上がっていこうと。周りを気にせず――いや、周りを見もせずに。彼女はただ、自分の楽曲を、精一杯演奏し続けているだけ。自分のやるべきこと*3を一生懸命にやり続けているだけ。時間が変わったり場所が変わったり、光の玉(仮称)が落ちてきたり(やってきたり)舞い上がっていったり(去っていったり)するけれど、それでもただ、彼女は一人黙々と、懸命にピアノを弾き続けるだけ。――――それは本編中における、彼女の姿勢も、示唆しているのかも。

2話本編


  • 「消された学校名」。AB!世界には、世界の構成物の自己修復機能があるのではないかと推察されていますが、にも関わらずここは修復されていません(潰されたままです)。はじめから潰されていたから修復されないのか、修復されない何らかの条件を満たしているから修復されないのか、あるいは自己修復機能なんて無いのか、いずれなのかは分かりませんが、わざわざ「潰されてる」ということを提示するということは、ここに何らかの含みがあるのでしょう。
  • 降下作戦に対して「高いのは得意じゃないっつうか……」とビビる音無くん。死因は落下だったんですね(それは違うアニメだ)。これには、生前に何かしらあったみたいな理由があってもおかしくないでしょう。そういえば第1話冒頭、最初の最初、音無くんが眼を開いたところからはじまりますが、その前に1秒ほど、真っ暗闇のカットが入ります。そこでは、まるで落下していくような「びゅうっ」という風切り音が聞こえる。まったく関係ないっぽいけど、とりあえず。
  • 校長室の壁にかかってる額縁。入り口すぐ左が「毒」、向かって左奥が「松坂牛(松屋牛?)(たぶん)」、右奥が「悦(たぶん)」。先週は「危」、「南紀みかん」、「テトラポット」。毎週変わるっぽいですね。



・降りてきた音無くんを気づかう日向。みんな進行方向(連絡通路の奥)を見ているのに、日向はひとりだけ逆方向・の音無くんの方を向いてる。
「臨戦態勢!」と聞いても棒立ちのままの音無くんを、(危ないから)しゃがませる、というフォローをさり気なくいれる日向。

  • 日向くんがことあるごとに音無くんにホモ目線優しい目線を送ってくるから困る。日向くん→音無くんを注目して見るとヤバイですよー。鉄球から助けるところや「見ちゃいけねえ」などは言うに及ばず、他にも、さりげなくフォロー入れたり、さり気なく気づかってる描写がめっちゃ沢山ある。この降下作戦中、殆ど常に音無くんの近くにいて、彼をさり気なく守ってる(疑問への説明とか言葉でのフォローもしている/つまり心身ともに守ってる)。
    • 八柾さんが興味深い指摘をされてて、「ゆりっぺ母親説が挙がってるけど、電撃オンラインで公開されてる前日譚小説だと、日向もゆりのことを母親と同じ名前だっていってるんだよねー。http://twitter.com/hachimasa/status/11932377561)」。……おお、つまりだ、日向くんが音無にやけに優しいのは、実は音無くんの兄貴or弟だったから、だとか……(うーん)
  • ゆりっぺの過去話。「自然に囲まれた、まるで別荘のような家で暮らしてた」。この学園もまた、自然に囲まれたまるで別荘(というか別世界)のような学園ですが、なにか関係あるだろうかー……たぶんないだろうけどー。
    • 価値のあるものとは何か、何を探せばいいのか、分からない、けれど探す――探さなくてはならない、という状況。
    • 「守りたい全てを30分で奪われた」というのは、アニメの放送時間(枠)の30分とかけているのでしょうか。事実、彼女たちは30分で、全てを奪われたり全てを手にしたりするわけで……(強盗が「30分で」と告げたときのあの家の時計が、TBSでの第2話放映時刻とほぼ同じ時間である約「3時30分」を指していたように(いや偶然だろうけど)
    • ゆりっぺが言ってることって、結構すごいというか、「だからって天使を攻撃していいのか?」という問いに対して何の正当性も持ってないんですよね。あたしが許せないから、あたしがこうしたいから、だからこうする、以上でも以下でもない。だからこそ、1話ラスト「(判断は)まだ早い。俺には、記憶がないのだから」と語っていたように、音無くんが記憶喪失なのはかなり意味があったと思うのですが。記憶喪失だという理由のもと、保留できる(正当性を得る)。
    • よくニュースや新聞で目にする「なんの罪もない犠牲者……」という語句には誤りがあると指摘できて、それは、なんの罪もない人間などいないという点ではなくて、罪に対応する出来事などないという点。罪のある者にやってくるのは「罰」で、ならば何の罪も無い者に「罰」がやってくる謂われは無いのですが、しかし殺人も事故も不幸も理不尽も、別に”「罰」では無い”のだから、罪の在る無しはそこに関わりない。罰ならば、罪がなければやってこない筈ですけど、強盗も殺人も別に「罰」ではないのだから、罪がなくてもやってくるわけです。 「あたしは、本当に神がいるのなら立ち向かいたいだけよ。だって、理不尽すぎるじゃない……悪いことなんて何もしていないのに」。 しかしゆりっぺのセリフはこう綴られる。悪いこと=罪があったら受け入れるのか。罪があったら、そこで起こることは理不尽ではなくなるのか。つまり、理由や必然があれば(罪―罰の対応関係は、理由や必然・因果関係と同じ)、それは理不尽ではなくなるのか。つまり、彼女は理由が欲しいのか。欲しかったのか。「神」という存在は、もちろんそれを持っています(持っているから神である)。
    • で、この過去話は、ゆりの死因ではありません。ゆりが死んだことと、これがどう結びつくのかは不明。死んだことが現在不明である以上、「神へ復讐」する彼女の理由が、この強盗の件だけなのか、それとも彼女の死因も絡みつくのか、その辺も不明。ただ……、






音無くんの「ゆりは、どうして死んだんだ?」という質問に対する反応。「ああ……」と相槌うって、「バカね、自殺なんかじゃないわよ」と返すまでの、この瞬間の表情の変化!(画像上から順番に、一番上が「ああ……」、一番下が「バカね……」。1秒にも満たない間の表情変化)  一瞬だけ見せる、優しいような、懐かしむような、慈しむようなこの表情には、(彼女曰くの)理不尽に対する怒りなどは見て取れません。こういう表情が”できる”死とは、いったい彼女にとってどのようなものだったのか。それが神への復讐に、強盗の件とあわせてどう絡むのか。

  • ゆり「それに、この世界に自殺した人間はいないわ」。  これは怪しいところ。いや、「なぜわかるのか?」という点で。いないことを証明するのは不可能に近い(悪魔の証明)ように、憶測や推測だけで「いない」と断言するのは難しいでしょう。なんらかのルールなり法則なりを知っていないと、こんなセリフは言えないのではないでしょうか。あるいはこれまでのリサーチの結果、自殺の記憶を持っていた奴はいなかったので、そう判断したのかもしれませんが。
    • しかし「自殺した人間が抗うわけない」というのは、さすがに事実と異なる(抗う奴もいるかもしれない、そもそも自殺とは今生きてることへの抵抗だ)(まあこのセリフ自体は、ゆりっぺの自殺をいぶかしんだ音無くんを安心させるためのものである可能性もありますけど)。
  • ギルドのモブ連中の言動が、全員右へならへのマスゲーム状態という、「NPCよりNPCっぽい」言動なんですけど、これには「実は彼らはNPC」という真相とか「生きてる人間だって、ルーチンに支配され社会に支配されたNPCと大差ない」という批評性とか隠されているのでしょうか。
  • 「大切なのは記憶」「この世界では命あるものは生まれない、けどカタチだけのものは生み出せる」「構成する仕組みと、作り出す方法さえ知っていれば、何も必要ない(無から生み出せる)」「本来あたしたちは、カタチだけのものに記憶で命を吹き込んできた」
    • なんかすげー核心っぽいこと言ってますよー。記憶が大切で、場所や道具は失ってもよくて、だからここを破棄して逃げる、ということは、天使は記憶をどうこうする能力を持っているということでしょうか。じゃなければ、極端な話、死なないのだから、天使から逃げる理由が(痛いの嫌だしか)ない。それなのにこういう対処を取るということは、天使の攻撃は死――肉体の傷だけではなく、他の何らかの効果ももたらすということかも。
    • 「本来あたしたちは、カタチだけのものに記憶で命を吹き込んできた」。  この世界で命あるのものが人間以外にいるのかどうか分からないけれど(第一話で鳥の鳴き声はあったけれど(物語世界外のSEかもしれないけど))。もしひと以外に居ないなら。もしかしてこの世界のひとたちって、「本来」と云うように、そして「あたしたち」というように、ゆりっぺたちによって、そうやって作り出されたとか?(※ボクの設定予想・真相予想・展開予想はことごとく外れます)


  • 音無くんの、天使へのタックル。はじめて天使に直に身体が触れた瞬間。そのちょっと後、「思わず助けちまった……何やってんだ、俺」という音無くんの独白。これはもちろん、助けたこと=タックルしたことについてですが、「思わず」というのが面白い。第1話で、天使と敵対することに対して「記憶がないから判断保留」としていたのに、ゆりっぺvs天使においては「思わず」体が動いてしまった*4「お前すごいよ。みんながついてくるわけだ。立派にリーダー、できてるよ」という音無くんのセリフは、まさにその実感を語ってるとこでもあるんですね。「思わず」助けるために動いてしまった。「思わず」自分もゆりについていってしまった(=天使と戦ってしまった)。音無くんの判断保留という心を「思わず」打ち破らせてしまう、「思わず」人を動かす、ゆりっぺの牽引力。それはみんなを動かすものであり、また音無くんを動かすものでもあり、またこのように、物語も動かしていくものでしょう。
  • ということで、また来週。

*1:演出という言い方していいのか分かんないけど

*2:光の玉(仮称)がらみの何かかもしれませんけど。

*3:「やるべき」なのか否かは不明なんですが。それはゆりっぺ達から見た「成仏に向かわせる的行動」にしてもそうで、なぜ彼女がそれをするのか?その真なるところは未だ不明である。

*4:まあその前に銃を撃ってるんですけどw

「Angel Beats!」 における、剥奪された<現実>

Angel Beats!」といえば、ここまでキャラクターが死にまくってる・死ぬような傷を負いまくるのですけど(※実際に息絶えるわけではないですけど)、その描写の仕方がちょっと面白い。

  • 第1話
    • 天使に刺される音無くん
    • 100HITと叩かれ斬られまくる音無くん
    • ワナにかかり吹っ飛ぶ音無くん
    • ワナにかかり吹っ飛ぶ野田


  • 第2話
    • 鉄槌に潰される野田
    • 鉄球に潰された高松(直截的な映像は無し)
    • 天井に押しつぶされるTK
    • レーザーっぽいのに斬られる松下五段(直截的な映像は無し)
    • 落とし穴に墜ちる大山くん&日向
    • 溺れる藤巻
    • 滝底に落ちる椎名さん


こう並べると、共通項が見えてきますね。どれもグロくはない。どれも直接的なところは映していない。天使に刺された音無くんの、刺されて血がドバーッというのを描写しない。「刺されるとこ」までしか映さない。ワナにかかり吹っ飛ぶ音無くん&野田が、地面に激突して悲惨なことになるところを描写しない。「吹っ飛ぶところ」までしか映さない。鉄槌に潰された野田が、口から血を吐いたり内臓が破裂するところを描くでもなく、高松が鉄球に潰されたところはそもそも描かれず、TKが天井を抑えるところまでは描いても、その先の潰されるところまでは描かず、松下五段が切り刻まれるところは描かず、落とし穴に墜ちた大山くんと日向が地面に激突するところまでは描かず、藤巻が溺れ苦しむ様は描かず、椎名さんは落ちていくところまでしか映さない。

どれも直接的なところ――直接的な死、直接的な傷――は映していない。傷が身体を穿つ瞬間、傷口から血が滲み出る瞬間は映していない。本当は身体に穴が穿たれ、そこから血液が流れ出てる筈なのに、その現実をわたしたちには見せないようにしている。この第2話で、日向が、実際にはもの凄くグロかったであろう松下五段の切り刻まれた死に姿を「見ちゃダメだ」と言って音無くんの眼を強引に覆いましたが、まさにそれと同じように。わたしたちにもまた、「見えないように」している。
死後の世界(死後の世界だという前提で考えれば)であるここは、当然ながら(リアルという意味ではなく、現世という意味での)現実がある程度以上は剥奪されていて、それは登場人物の彼らにとってもそうなのですが、その結果、わたしたちにとっても現実――<現実>(現世という意味だけではなく、この世界におけるリアルという意味での)が剥奪されている。
彼らの傷や流れる血を見られないことによって、わたしたちは彼らのソレと・この世界における彼らのソレという出来事と、まさに「出会い損ねて」いるわけですが、これは正しいか否かでいえば(シリアス一辺倒でなくギャグ的に描くという前提の元であれば)取りあえず正しいんじゃないでしょうか。死なない世界だから、死ぬような出来事がギャグに回収できる(言わばトムとジェリーに代表される死ギャグ)わけですけど、だからといって、人の肉体が切り刻まれるのを直接に見せてしまったらギャグにはならない。死なないと分かっていても、その凄惨な死に様に思わず嘔吐してしまった大山くんの姿が、まさにそうですね。死なない・蘇えるという設定は、人間の身体が傷つけられるという圧倒的な現実が現前してしまったら、機能しない――現実の質量に蹂躙されてしまう。だから、設定や世界観だけでは、「現に人が死ぬ」映像の威力に前提が覆されて深刻になりすぎてしまいかねないから、「出会い損ね*1」で正しいのではないかと取りあえず言えるわけです。ですが。

これは「死」だけではなく、傷もおおっている。さらに言えば痛みも。音無くんが「死ぬほど痛てえ(のに死ねないなんて)」と述べますが、しかしわたしたちには、彼の痛みそのものは分かりにくいですよね。だって悲鳴を上げる描写が入れられてるでもなしで、身体がざっくりと開かれて血がどばっと出ている描写があるでもなしで、つまり彼の痛みは描かれていない。むしろ、わたしたちはいつも、事後や反応でそれを知っていると言えます。



天使に刺された現実を、血みどろのシャツという痕跡を見て知るように。第1話の100HITのあと、大量出血の血だまりという痕跡を見て、「死ぬほど」の内実を知るように。切り刻まれた松下五段がいかに悲惨で残酷だったのかを、大山くんの反応(驚愕する瞳&嘔吐)に知るように。痛みや傷という現実は剥奪されて、ただ痕跡*2や反応という向こう側からかいま見えるだけ。
つまり、「Angel Beats!」の世界は死が剥奪された世界ですが、たしかに映像的にも死が剥奪されているといえるでしょう。しかし、死を――現実を剥奪するあまり、傷も痛みも「(痕跡や反応に知るという)向こう側」に剥奪してしまった。傷とも痛みとも出会い損ねてる。それらと出会うのは「事後」「痕跡」「反応」からである、くらい、遅れてやってくる。……ここまでのところ、遅れてやってくるものは、現実を見せないようにする映像と異なり、むしろ容赦していない、と言えるかもしれません。上に挙げた画像の、鮮烈な出血多量レベルの血の赤の印象や、この2話で描かれた中では誰よりも・何よりも取り乱した瞳をしている大山くんの反応、これまでにはなかった嘔吐という、比較的現実的な人の死に様への反応(しかもそれらを、一番穏やかでおっとりしてそうな・優しそうな大山くんにやらせるという容赦の無さ!)。そして完全に事後として語られる、ここまでで最も残酷な印象を残す、ゆりっぺの過去話。向こう側に見える、遅れてやってくる現実は、モノとしての現実という境位をあらゆる面で失っているのだけれど、たとえば「見ちゃダメだ」と視界を塞がれるのが逆に「見ちゃいけないほどの残酷な光景がそこにある」ことを思わせるように、それは現実以上の現実を想像させる。


しかし、ここまでに記したのはSSS(死んだ世界戦線)の人たちの話で、それとはまったく逆の描かれ方をされてる存在もいます。



天使です。
SSSのひとたちは、直接的なところ――直接的な死、直接的な傷――は映さなかった。傷が身体を穿つ瞬間、傷口から血が滲み出る瞬間は映さなかったのに対し、天使は、ここまでのところ、全て、直接的なところ――直接的な死、直接的な傷――を映していた。傷が身体を穿つ瞬間を、傷口から血が滲み出る瞬間を映していた
SSSのひとたちからは、映像において、現実的なものが剥奪され――傷が剥奪され、痛みが剥奪され、死も(死に至る傷も)剥奪され――ていたのに対し、天使だけは今のところ一つの例外なく、現実に銃弾があたり身体が抉られ血が流れ出る様が、確実に描かれている。

これの意味するところは様々であり――というかぶっちゃけ、設定世界観音無くんの記憶が明らかになっていない以上、色んな想定が出来すぎて困ってしまうくらいなんですが*3――いずれにせよこの対称性は面白いでしょう。SSSのひとたちには、ギャグっぽくするために残酷にしすぎないとかの理由がありつつも、「見ちゃダメフィルター」が入っているのに、天使に対してはそのフィルターが入っていない。つまり現実を見れる、出会える可能性がある。しかも現時点では、唯一。

……天使自体が、音無くんにとっては正体不明・ないし現時点で正体保留にしているし、自身の天使に対するスタンスも(第1話ラストで「(記憶がないから)まだ早い」と言っていたように)保留にしているように、彼女は<現実的なモノ>的に存在している(象徴的位置が定まっていない・不安定・むしろ保留という名の浮遊)ので、その彼女に対してフィルターが働かないのは当然であるといえるでしょう*4。逆に言えば、フィルターが働くSSSのメンツは音無くんにとって何だという話であり、いや実際に、天使に対して、「(記憶がないから)まだ早い」と云うように、慎重で真摯な姿勢を取るのに対して、SSSに対しては「正直なところ、俺は団結なんかしていない。今俺がもっとも優先すべきもの、それは自分の記憶を取り戻すまでの時間を無事に稼ぐこと、それだけだ(第1話)」と云うように、言葉は悪いが利用する気がまんまんである。ぜんぜん慎重でもなく真摯でもない。ならば、音無くんがSSSの彼女らに対して、<現実>を見ようとしないのは当たり前なのかもしれないし、だからこそ、<現実>が回避されている――映像に「見ちゃダメフィルター」が入るのも、当然なのかもしれません(が、さすがにこれは考えすぎなだけかもしれませんw)。



図式だけ見ると、ゆりっぺ達はあまり傷を見せないまま、天使だけがひとり傷つき続けていて(↑のようにボロボロになってくれるのだって、「見ちゃダメフィルター」をやられないのだって、現時点では天使だけ)、そりゃ天使の人気が出るのも頷けるのですがw、しかし一方で、ここまでやっておきながら、現実の境位で描くという論理も保持されています。つまり、死なない世界での死を利用したギャグを描くのならば*5、はじめからキャラクターをデフォルメしたり背景を異空間にしたり派手なエフェクトを入れたりして、あからさまに「これは現実とは違いますよ、ギャグですよ」ということを表明すれば容易なのに、第1話の「100HIT」を除いて、そのようなギャグ時空・ギャグ描写がまったく用いられていなかった*6。それに限らず、殆どの場合において、キャラのデフォルメ化や背景異空間といったことを用いず、あくまでも現実の境位で、ほとんど全てが描かれていた。

それゆえに「現実を剥奪する」という対応が存在しているのですが、しかしそれはSSSに対してだけで、天使に対してはそうではなかった。傷、痛み、現実に関して、両者は対称的に描かれている。―――上にも記した通り、もうちょっと先々まで見ないと何とも言えないですが、しかしいつか、SSSにも剥奪された現実が戻ってきた時、つーか戻ってくるのか分かんないですけどw、向こう側に垣間見える現実(リアル)がこちら側にやってきた時、現実(リアル)が遅れてやってこないで現在進行形になった時、そうなった時、音無くんはどうなのか、わたしたちはどう思うのか。あるいは、今は見える天使の方の現実(リアル)が剥奪された時は果たしてどうなのか。天使とSSS、この対称的な描かれ方が崩れ、現実が姿を露にした時に、果たしてどんな答えがそこに待つのか。なんかをこっそりと注目していきたいなーとか思います。

*1:ラカン的な意味で。

*2:「死後の存在」である彼ら自身もまた「痕跡」の存在であると考えることもできて、それもまた面白い――といっても、その辺は「現実・生前」と、現今の彼らがどのような関係にあるか・どのように関わるかに大きくかかっているので、現時点では何も言えないのですがー(そもそもマジに死後の世界なのかどうかも、現時点では未確定ですし)。

*3:なのでこのネタは、ついつい今書いてしまったけど、数話あとにぶり返すかも(だったら最初からそうしろという話でもあるんですが(というか数話後には、この共通項がフツーに破棄されてたりして(今までのはただの偶然だったりして

*4:ある種、僕らにとっても、かもしれません。「私は天使なんかじゃないわ」と彼女自身が言うように、天使の正体はまだ決定的ではないのだし。

*5:実際に死なない世界を逆手にとったギャグの存在は、作者インタビューで示唆されています。

*6:ちなみに、SSSメンバーの(※音無くん、その時はSSSメンバーではなかったけれど)血が出る的瞬間はその時だけ映し取られていた。

「けいおん!!」第1話の感想

ついにはじまった『けいおん!!』なんですが、最初視聴したときに、このアバンが微妙に第一期の第一話アバンを彷彿させるなぁと思いまして。


目覚ましどおりに起きたのに、時間を勘違いして(間違って)、ジャムを付けた食パンを咥えて、桜も舞う道を駆けていく唯。ムギや澪たちとすれ違うけど、当然面識はないから声すら掛けるわけがないし、またムギと澪たち自体も面識がないので、一緒に登校したりなんてことはなく、バラバラに登校する。


目覚まし時計を見間違えて、一時間早く登校。それでも、桜舞う道を駆けていく。今回はカバンだけじゃなくギターも背負っています。ジャムを付けた食パンは咥えてきたのか持ってきたのか不明(だけど手で持ってというのは考えづらいかな)。今回は学校に着いてから食べます。二年前はバラバラに登校していた澪たちも、出会えば一緒に登校している。

こう、微妙に同じ部分を加えて、変化や差異が匂ってくる感触がありました。本編の方でも、二年前は全く体験入部しなかった唯と、事情があるとはいえ体験入部しまくっている今の唯。新入部員を部室で待つ姿(一期第一話で唯に関してはそうではありませんでしたが)。「何かしなくちゃいけないような気はするんだけど……いったい何をすればいいんだろう」と、変化への焦燥に(唯なりに)駆られてた二年前と、「今はずっとこの5人でいい」と変化しないことを望んだ今の唯。などなど。
けいおん!(第一期)第1話と、けいおん!!(第二期)第1話、微妙に照らし合わせられる感じ、対称や参照になれる感じのリンクが、やんわりとですが、見えるように思いました。


で。「だからなに?」と思われるかもしれませんが。
うん自分でも「だからなに?」と思ったんだけどねー、考えても答えが出ないというか、これ実は何でもないんじゃないかなーと思って。

けいおん!』の面白いところとして、個人の価値観としてのものを別として、審級を作品自体に置いた上で、「○○が優れてる」とか「××が劣ってる」とか言わないし、そもそも二頂対立的にもあまりならないところがあるかなぁと思うのです。たとえば、同じく京アニで四コママンガ原作の『らき☆すた』は、二頂対立的な構図が結構激しい。そもそも第一話の「チョココロネ」の話からしてそうですね。私はこっちから食べる、わたしはあっちから食べる、私はこっちが頭だと思う、わたしはあっちだと思う、というように、それぞれ別々の意見・価値観を表明している。そういう風に、相対化され、二頂対立的構図になっているのですが、しかしその構図が出来上がるだけで、そこに何の判断も下されない。こっちが頭の認識が正しい、こっちから食べる方が効率的だ、こっちのが多数派だ、みたいな、その対立に対する優劣が付けられることはない。かといって意見が一致することに価値が見い出されるのかというと、そうでもない――「頭」の認識に対してこなたとかがみが一緒だと分かったときに、逆光にしてそのシンパシーを強調するのだけど、食べ方は逆と分かると、すぐに「へー」と流してしまう(そこで無言になるのだけど、そこに気まずさも残念さも(視聴者が勝手に読み取る残り香程度のモノ以外には)微塵も存在していないのが、本当に面白い。わざわざ想定線越えて、逆光まで使ってるシンパシーだったのに、ホントすぐにどうでもいい扱いになってるのです。つまり、「他人と同じ」に、大した価値を見い出してない)*1
こなたのオタク話――かがみの非オタ反応とか、そもそもかがみを介さずとも「オタクはこうだけど一般人はこうじゃない(あるいはその逆)」みたいな会話も結構ありますね(その点は原作の方が傾向強いですが)、しかしそこに、どうするべきだ・何が正しいのか、なんて価値判断は殆ど存在しない。こなたの影響で誰かがオタクになることもないし、かがみの影響でこなたがラノベ好きになることもない。たとえば、他人のことを羨むみたいなのが、ゆたか→みなみくらいで殆どない。しっかりもので努力家の双子の姉と天然マイペースの双子の妹を多少なりとも相対化するのに、どっちが優れてる・どっちが劣ってる的な優劣を付けることがほぼ全くない。相対化・二頂対立構造まではしても、そこに解答を用意しない。

それに対し『けいおん!』では、優劣を付ける解答を用意しないのは勿論、そもそも二頂対立的にすらあまりならない*2、あるいは軽く流したりネタとして流したりするという対処を取ることが多いです。なんか勢いで『けいおん!』第一期を全話見返しちゃったのですが、そこには対立構造の上で優劣を付けるということがほぼ全く無く、そもそも対立構造自体が予想以上に少なく、あっても個人の趣味趣向で収まるか、あっさりと流すか、ネタとして扱うか、そのように対処されていました*3。作品の論理として価値判断は設けていなかった。第9話のあずにゃん入部直後の回が、対立構造の強い唯一の例外としてあるくらいで*4

だから、この第一話の過去とのリンクも、たとえば「成長」という一言では言い表せないのではないかと。成長というからには、「以前よりも今のが良い」という優劣がそこに働くものなのに、しかしこの『けいおん!!』には、過去を否定する言辞がない。成長とは、現在と過去を相対的に見ると、過去に対し否定の力が働くものなのに、しかしそんなものは殆どない。過去を否定するイメージがない。現在を肯定する向きには溢れているけど。第一期第一話と共通項があり、その中で差異があり、それぞれ相対化されるんですけど、「そこまで」に思えるんですよ。たとえば、桜を拾っている唯が、非けいおんメンバーと仲良くしている(ぽい)ように、唯にもいつの間にか友達ができているし、たとえばあずにゃんの友達の子(純)が、まるでいつもやってるかのように紙パックの自然にジュースを差し出して、それをあずにゃんがまるでいつもやってるかのように自然にストローに口をつけていて――つまり、たぶんいつもやってることなんでしょうが、そのように、いつの間にやら仲良くなっているように。それぞれに変化がある。1年も経ってるんだから当然だけど。しかしそこに、価値判断的な回答は提示されていない。並べて示すけれど、そこにいかなる価値判断も介在していない。変わってはいるけれど、以前より今の方が良い、という判断は下されていない。否定はされていない。何ひとつ。―――それは、以前は以前で良く(認め)、今は今で良い(認める)、という、それぞれが独立された上での肯定ではないでしょうか。
たとえば第1期最終回(文化祭の回)では、自宅に忘れたギターを急いで取りに戻った唯が、入学したての頃の自分に、その時を非常に彷彿とさせる映像の中――つまり相対化された中、「ねえ、わたし」と語りかけます。あの頃は、何かしたいのだけど、何をしていいか分からない、という焦燥に溢れてたわたしだけど、でも大丈夫、大切な場所がきっと見つかるよ、と。それはあの頃の自分自身に送るエールのような言葉だったけれど、しかし、あの頃の自分を否定しているわけではない。
相対化した上で(そもそもあまり相対化しないのだけど)、どっちが優れてるかといった価値判断は提示しない。それは個々の価値観や信条のみならず、今の自分と過去の自分においても。これが意味するところは、否定がないということは、無駄も無意味も無価値も、ここにはまったくないということです。特に中身のない会話も、無駄に思えるような時間も、まったく否定されていない。だから「けいおん!」は素晴らしいなぁと、個人的には思うのです。

*1:昔書いたように、これってカメラが見い出してる価値じゃね?って話でもあるんだけど

*2:もしやったらリアルに蛸壺屋になっていたのではないだろうか……w

*3:しかし自分が一年前に書いた感想読んでみたら(http://d.hatena.ne.jp/LoneStarSaloon/20090625/1245870020)、その辺のことちゃんと書いてあってびびった。すごいぞ一年前の自分ー、というか今の自分やばいぞw

*4:個人的に第9話は「けいおん!」で唯一苦手な回でしたが、逆にその理由が明らかになったり。

置き去りと、届かなさ――Angel Beats! 第1話

テーマが「人生」で、「麻枝准が送る最高の人生賛歌」(http://www.angelbeats.jp/story/)とまで煽られたら僕も久しぶりに感想書いてしまいますよ! ということで半年振りくらいっすね、こんにちは。さて『Angel Beats!』ですが、あの『CLANNAD』に続きまたも「人生」です*1。しかも今回は「賛歌」まで付いてしまうのですから、期待に打ち震わざるを得ないでしょう……てゆうか煽りすぎだろって感がありますがw
しかし、第一話でこんなこと言うのも早すぎですが、どのようにそれ(人生)を描くのか、というのは少し気になるところ。『CLANNAD』が人生と呼ばれたのは、前提として、学校生活から卒業、就職に結婚そして出産、それらに伴う困難や壁とそれを乗り越える強さとか弱さとか人の絆とかとかがまずあったから――つまりまんま「人生」ですね、普通の人の人生を大なり小なり踏襲している――でもあるのですが、対する『Angel Beats!』において、そういうのは恐らくありえません。なぜなら死んでるから。死後の世界だから。ここでは当然卒業や就職は起こりえないし、人の人生をまんまで踏襲することはできない。死後の世界なんだから、ここではありとあらゆるものが(厳密には)現実と同じレベルでは存在してないんですね。たとえば「友情」「恋愛」なんかは比較的近くても、「社会」とか「生活」なんかを描くには、現実に対して比喩・隠喩的にならざるを得ない可能性が高い。
その上で、果たしてどうやって「人生」を描いていくのかが楽しみです。(※ただし、これが本当に「死後の世界」かどうかは不明。ゆりっぺ*2自身も、この世界が何なのか分かってない節がありますよね。天使や神的な誰かに答えを聞いたというワケではなく(天使は世界の根幹に関わる質問に答えず、神は本当に存在するかどうかも分からない)、第一話での情報の限りだと、恐らく憶測と伝聞でそう判断したのではないかな、と推測される。「自分がここに来る前に死んだ」ってことと「消えてく奴がいる」ってことだけは確かな記憶と確かな体験なので、そこから判断したのではないだろうか。「天使」という名称も、彼女が自称したわけではなく、そこからの判断とか*3。もちろん、そうではなく、本当に「死後の世界」なのかもしれないけれど。――とか、どうせ何週か経てば明らかになると思いつつも)

置き去りと、届かなさ

さて、ネット上の感想を見ると「よくわからない」「置いていかれる」「感情移入できない」「説明だらけ」「唐突に握手して仲間に加わるとかw感動も感慨も何もねえw」みたいなのを結構見かけますが(http://yunakiti.blog79.fc2.com/blog-entry-4950.html)、いや自分も最初そういう印象を持ったのだけど、それはある意味正しいのではないでしょうか。だって音無くん自身がまさにそうだからハルヒの「エンドレスエイト」について、「これは長門の、諦めやら疲れやら絶望という感情や気持ちを表しているんだ(表していることになる)」という解釈を結構見かけましたけど、それと同じく。狙ってやったかどうかは措いといて、結果的には、視聴者の感情のソレは音無くんのソレと似た部類のものになっていたのではないでしょうか。なんなんだ、わけわかんねえ、と彼が叫ぶように。(死んだ世界戦線の人たちと)俺は団結しているわけではない、と彼が語るように。そして彼の行動もほとんどが受け身なように。彼からする会話はほとんどが質問=説明を求めているように。音無くんもまた、よくわからないし、仲間ってわけでもない(移入してない)し、置いていかれてるし、説明を受けまくっている。

それが上手いかどうか、面白いかどうか、狙ってやってるのかどうかは措いといて。結果的に、そこは相同的である。

が、もちろん、だからといって視聴者は音無くんとイコールになれるわけではありません。「エンドレスエイト」にて繰り返される日々に対する感情がいくら長門と”似たようなもの”であっても、結局両者は同じ体験をしているわけではないのだから、”同じ”とは言い切れない差異の方が際立ってしまうように。何らかの出来事において、実際に現場にいて感じる怒りと、それを伝え聞いて感じる怒りとでは、質かあるいは量が異なるように。現前と再現前の差異の上に受け取る主体も異なるのだから当然のこと、奇跡のような確率で同定されることはあっても。際立たされるのは、対象とも同定されない孤独であり、それは双方にとってもそう。エンドレスエイトでいえば、結局、視聴者と長門は異なるのです、その点においては両者は繋がっておらず長門は”より”孤独である、ということが際立つ。同じ様な感情を抱いていてもそれは決して同じではなく、似ているのに異なっているからこそその差異が際立ち、より孤独感(※長門の孤独感)を強調することになる(――のだから、「エンドレスエイト」におけるソレは、視聴者と長門が”似ているのに同じではない”状態でも(状態の方が)効果的、と言えるでしょう)。
ゆえに『Angel Beats!』でも、その点においては似たようなモノではあるが、決して”同じではない”ということ。相同的であるだけで、いや下手に似ているからこそ、差異が明白になり、どちらもが置き去りにされる―――。

意外なほどに、音無くんは、自分から行動を起こすことも・自分から話しかけることも・自分から誰かに触れることも、さほど多くはありません。行動に関しては、ほとんどが何かへの反応や、言われたことをするというところで、自分で定めた自主的な行動というのは、冒頭グラウンドの天使のところへ行く箇所、消されるために信用できる奴を探すという箇所、それと戦闘後ただ一人天使を見つめる箇所、くらいだったのではないでしょうか。また自分から会話をはじめるというのも意外と少なく、というか、冒頭の天使への話しかけとラスト着席時の質問以外はほとんどないと言える――し、その他に多少あるのも質問や疑問ばかり。そして、誰かが彼に触れるというのはあっても、彼が自分から触れるというのは殆どない*4
たとえば、順応性を高めてあるがままを受け止めて、仲良くなったり共に戦ったりすれば、このように、よくわからないし、仲間ってわけでもない(移入してない)し、置いていかれてるし、説明を受けまくっている状態にはならないのでしょうが、しかし実際には、説明を聞きまくるも分からないで置いていかれているまま取りあえず行動を共にする程度の状態――つまり、よくわからなくて、仲間ってわけでもなく(移入してない)て、置いていかれて、説明を受けまくっている状態になっている(視聴者ともども)。

なぜ音無くんは、ゆりっぺの言うように「順応性を高めてあるがままを受け止め」ないのか。それはそもそも「置き去りにされている」からでもあるのではないでしょうか。
音無くん自身が「置き去りにされている」と記しましたが、それは「そもそも」なんですよね。そもそも、死後の世界というのなら、現世(現実・社会・家族・友人その他もろもろ)から置き去りにされていて、かつてあった肉体から置き去りにされていて、そして記憶がないのだから、自分自身からも置き去りにされている。彼が

「まだ早い。俺には、記憶がないんだから……」(ラストの部分)

と云うのも、もっともであって。自分自身にすら置き去りにされているものに何の判断ができるか、何を考えることができるか、もししてしまっても、それを引き受けるのは誰か?というところ。

「今俺が最も優先すべきもの、それは自分の記憶を取り戻すまでの時間を無事に稼ぐこと、それだけだ」
「それからは……」
「それからは……わからない」

だから、先々に対してはまだ不明のままである、と保留するのも当然なのでしょう。

自分自身から置き去りにされていて、死後の世界なんだから現実世界からも置き去りにされていて、かといって「この世界」のことも分からないんだから、この世界からも置き去りにされている。
せめてどれか埋まらなければ始まりもしないというワケで、彼が質問しまくるのも当然なのですが、そこにも満足な答えが存在しません。説明は世界の解明に届かず、かといって記憶という自分自身にも届かず、もちろん現世にも届かず、斬られても刺されても死なないように自分の――人間であったころの身体にも今は届かず、そのうえ消え去るという終わりにも届かない。


その中で「天使との接触」は少し特徴的でした。

音無くんが自分から誰かに(身体的に)触れるというのは、厳密に言えばゆりっぺとの握手しかなかったのですが*5、しかし武器でもって触れる=傷つけるというのも接触に加えれば、天使にも触れてると言うこともできる。

「死なないことを証明してくれ」と軽い気持ちで言ったら、「職員室の場所を答える」ような当たり前さで、刺し殺されて*6しまった音無くん。随分なディスコミュニケーションです。他者と触れ合うことは傷つけ合うことだーとか言うと安っぽすぎますが、しかし天使との触れ合いは現状、齟齬ったコミュニケーションと、傷つけ合いしか存在していません。刃で刺され、銃で撃ち。いえ、正しく言えば、現状、傷つけ合いしか届いていないと言えるでしょうか。とりあえず分かる範囲の情報*7だと、天使は、人間をいわゆる「成仏」させるように行動しており、それ以外の点に関しては反応・感情とも乏しいように思われる(※そこに対してすら感情が込められてるかは不明ですが)。SSSと天使との交渉や歩みよりは、実際にやったかどうかは分かりませんが、現状では特に無いのではないかと推測される。少なくとも、あったとしても、(願いや目的に)”届いてはいない”のではないか。実際には――現状では、銃撃と剣戟、攻撃と防御と反撃しか存在していない。第一話を見る限りでは、銃弾と刀身しか届いていない。

……のですが、しかし第一話においては、音無くんのそれしか届いていないし、向こうからも音無くんにしか届いていません。ここまでのところ、天使が刃を突き刺せたのは、音無くんのみで、天使に銃弾を届かせられたのも、音無くんのみ。他は全て、刃が届かない位置に在り、放った弾丸も届く前に処理される。他者と触れ合うのは傷つけ合うことだ、といっても、そもそも刃届かず銃弾届かないのだから、傷つけ合えていない、触れ合えていない。他の人々は、傷つけ合うことすら叶っていない、届いていない。唯一、傷つけ合えている、触れ合えているは音無くんのみ*8

※音無くんが瞳奪われるこの天使の姿は、彼以外の誰も傷つけられなかった=触れられなかった=届かなかった姿。
音無くんにとっては、自分から触れてかつ相手からも触れてきた対象は、この天使のみ*9。しかし両者には、まともな会話には未だ届かず、傷つけ合う、暴力という触れ合いにしか届いていない。これを、この程度しか届かないし、こんなものしか届かないけど、それでも届いていると見るべきか。それとも逆に、こんなものしか届かないのか、こんなものなら届くのか、こんなものでも届いてしまうのか、と見るべきか。
いずれにせよ、「(記憶がないから)まだ(決断には)早い」という彼の言葉を鑑みれば、全ては彼が置き去りにされた自分自身を取り戻してからかもしれません。*10

*1:CLANNADが人生なのは公式(作り手)が言い出したことではないけど。対してAB!が人生なのは公式自身が言ってること。

*2:ゆりっぺから「ハルヒ」を連想している方を結構見かけますけど、麻枝准の「リトバスEX」プレイ済みの人は、ハルヒよりも圧倒的に「朱鷺戸沙耶」を連想しますよね。以下リトバスEXのネタバレ含みますが、連想させるポイント。 ・性格が似ている(同じではない) ・態度が似ている(同じというわけではない) ・声が似ている……つか中の人が同じ ・声の演技も同じに近いくらい似ている(沙耶の画像見ながらゆりっぺの声を聞いても、ゆりっぺの画像見ながら沙耶の声を聞いても、まったく違和感ないレベル) ・口調とか喋り方・喋ってる内容なんかも近い感じ ・両者とも銃器を扱う ・両者とも物語開始時点で「既に死んでいる」 ・両者とも死んだ後に迷い込んだ世界で学校に通う ・その学校で普通に授業を受けるのではなく、ゆりっぺは生徒会長と、沙耶は闇の執行部というように、それぞれ名称だけでも学校内の権力機関であるものと対立している ・ゆりっぺは「神」、沙耶は「秘宝」と、両者とも姿形正体が分からないモノを探している ・死んだ後に通った学校で何か色々と(具体的には現実の沙耶が得られなかった青春とか)得て、AB!的に言うと成仏する沙耶。それに対しゆりっぺはどうなのか  ―――ここまで来ると、まさか、死後に迷い込んだ世界で何かやるという同じネタを、それなりに性格も近く声に至っては全く同じキャラで、連続で(AB!直近の麻枝作品はリトバスEX沙耶シナリオ)やるのか? という疑念が湧いてきます。これが本当に死後の世界だったら、少なくともスタートラインとしては、朱鷺戸沙耶と相似じゃないか、と。全く同じだから、連続で(スタートに関しては)同じネタになっちゃうから、だからこれは本当に死後の世界なのか? と思ってしまうわけでして。いや逆に、連続でやるからこそ差異が際立ち、対称形になるのかもしれませんが――サブならともかく、メインのラインでこうもあからさまに似通ってしまうのは、これまでのだーまえさんではあんまりないよなぁ、と思うわけで。

*3:NPCも、わたしたちが想像するいわゆるゲームにおけるNPCと同じ意味でのNPCと確定されたわけではなく――というかゆりっぺ自身が「たとえよ」と言ってますね。「たとえよ。連中はこの世界に最初からいる模範ってわけ」、と。なのであくまで推測、便宜的にNPCと名付けているだけの可能性もある(実際にNPCとイコールである可能性もありますが)。

*4:せめてゆりっぺとの握手くらいでしょうか。大山・松下との握手は、彼らのほうから手を出してきている。

*5:それすらも、自分から手を差し出したのかどうかよく分からないというものでしたが

*6:実際は死んでいませんが

*7:というか自分がチェックしている範囲ですけど。第1話とTrack Zero一話(http://news.dengeki.com/elem/000/000/245/245405/)期間限定で公開されているそうです。

*8:もちろん、第一話を見る限りであって、「過去にはどうたら〜」とかは当然あるかもしれないし、むしろあって当然。

*9:音無くんが自分から触れた相手は、判別付きがたいゆりっぺとの握手と、この銃撃のみ。大山・松下とも握手していますが、あれらは向こうから手を差し出したもので、音無くんが自分からとは言い難い。向こうから触れたのは、校長室に入ってきたところを日向が触れたところと、作戦終了時に手の平の食券見つめる音無くんに「それでいいのか」日向が肩を叩いたところと、武器――暴力という接触を含めれば、序盤の100HITのところと、上述の天使のところのみ。

*10:とかいいつつー。今までのだーまえさんを鑑みると、記憶を取り戻すみたいなでっかいアレコレは結構ラストの方に持ってくる場合が多いので、今回も記憶を取り戻さないまま終盤まで進む可能性が高いんじゃないかなー、とかも思います。実は彼の記憶がこの世界の秘密に何らかの関わりを持っている可能性もあるわけで。

「真剣で私に恋しなさい!!」

かなり良かったというか、超良かったです。個人的には、ラストシナリオまでやってはじめて「どこが良いのか」分かった、そんな感じでした。

以下すごくネタバレね。見るならばラストシナリオ終わってからにしてね。

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化物語 第3話

やべえ、すげえ、すばらしい!!

なんといっても、我らが八九寺、八九寺真宵さんですよ! 八九寺真宵ちゃんですよ! 八九寺真宵先生ですよ! 八九寺のその、超小学生級の超洒脱級会話を聞くだけで我々の脳内は幸せで満たされるのですよ! ……しかし凄げえなこのアニメ、これで三週連続パンツ丸出しじゃねえか……!

えっと、そういうの抜きにしても、素で凄かったですね。パネかったです。んー、普通に凄かったというべきでしょうか。つまり僕なんかにも「すげえ」と自分が思っているのが分かるくらいに普通な意味で凄かったな、と。まず目に付いたのが、序盤で、ベンチに座る戦場ヶ原と暦の影に、よくわからん火みたいなオブジェの影が重なって、まるで「傘」みたいになってるところがあったのですが(「火のオブジェ」を「火憐」の暗喩か何かその辺と捉えるのも面白そう)、そういう、別の「層」が何かを示唆する(表す・暗示する・隠喩する)、みたいなのが目立ちましたし、それに、凄くいい感じでしたね。
たとえば「柱」ですね。これはまあ、なんだろう、……該当箇所がウルトラ多いし、そして明らかに見れば分かる系なので、ここで何か言うのを割愛したいくらいなのですが。戦場ヶ原の最初の登場時から、それは「柱」という分断=不明瞭が入っていましたが、会話時も非常に「柱」が効果的でした。たとえば二人の間に(構図的に)配される「柱」とか、あるいは、たとえば暦が「戦場ヶ原が告白するんじゃないか」と勘違いしてしまったセリフのところ、そこで戦場ヶ原の顔を横切る「柱」(カメラが動いた結果ですが)とか。何かしら「距離」的なものが孕まれていたり、後者ならこの分断がその「勘違い」を共同している。その逆としては、「やりまくりよ」のところなんか面白いでしょう。その会話中、ずっと「柱」が(平面的に見れば)両者を分断しているのだけれど、戦場ヶ原が嘘をやめて、自分が暦と同じ立場だと告白するとき――「阿良々木くんみたいなイカさない童貞野郎と話してくれる女の子なんて、せいぜいあたしのような行き遅れのメンヘル処女しかいないということよ」と述べる時――童貞・処女、どちらも同じく罵倒・侮蔑、そして自分が貴方の話し相手だという関係、つまり暦と戦場ヶ原が絵的にも心的にも同じ場所に立ったとき、二人は同じ柱と柱の間に立っていた。両者を分断するものはなく、故に柱は両者を分断せず。

そのあとBパートでは、あからさまな「柱」の分断は殆どなくなります。暦が「八九寺」の名前聞いたり向かっていくところで分断っていますが……これはもうね、見たまんまなんですが、さらに原作読んだ人間からは「見事」の一言ですね。後々には、八九寺と戦場ヶ原が一緒するところで、「影として」柱の分断が生じています。柱の影がそこに介入している。最低でも、”決して影分”、戦場ヶ原は八九寺にも暦にも立ち入らない。そもそもここでの柱の影の幅がほぼ一人分しかないのですが、それはつまり、そういうことなのでしょう。常に分断されている。本当は。見えないくらい。たまに折り重なる時もあるけれど。
もちろんここでは、見える柱は裏側、見えない柱が前側、というのが最重要です。見える「柱」は裏側――バックグラウンドにあって何も分断していないのに、見えない「柱」=柱の影は表側――人々の前の層に被って、常に分断している。そう、つまり――やべーなこれネタバレっぽいから白文字にしておく、
見える限りでは分断されていないように見えても、本当の柱では分断されていなくても、幻の柱=柱の影で分断されている。分断されていないように見えても、本当は分断されている。それはもちろん、「本当の柱」じゃなくて「影の柱」であるように、『別の層』での分断。『別の層』とは何のことかは、原作読んでる方には言うまでもないし、原作読んでない方は知らないほうが良いでしょう。

とはいえ、「柱」(柱の影)というのは、実はカメラワークの問題でもあります。カメラの場所を変えれば、方向を変えれば、柱で分断されることもなくせるし、逆に柱で分断させることもできるし、そもそも柱が映らないようにすることができる。つまりパースペクティヴ次第で、全ては変わりうるということです。見え方が変わる。見え方が変われば、在り方も変わりうる。たとえばこの公園も、パッと見――普通に見せられてる限りにおいては、まるで、何処にでも遊具があって、何処にも無いような不思議空間だったけれど。パースペクティヴ、アングルが変わり、全体を見渡せるようになれば、「そうではない」ことが分かる。洒落てて、前衛的で、普通の公園とは言いづらいけれど、決して不思議な空間、異常な空間ではないと”見れること”が分かる。その見え方ならば、その在り方で、”在る”。

ということで、えーとなんだっけ、そうそう、八九寺真宵ちゃんの可愛さと素晴らしさと神々しさなんですが、これは来週以降になれば皆様ズバリとさらにご理解頂ける筈ですので、来週以降も楽しみに致しましょう。